
第68回カンヌ国際映画祭ある視点部門に出品された河瀬直美監督最新作『あん』は、現代日本におけるハンセン病の扱いに目を向けつつ、人が生きる意味を自然の風景に宿る美と共に問い掛ける意欲作だ。ドリアン助川の同名小説を原作とした本作は、粒あん作りの名手である謎の老女・徳江と、徳江からあん作りを習うどら焼き屋のワケあり店長・千太郎の交流を通し、社会から隔離された場所で生きざるを得なかった者たちの生を優しく肯定する。徳江と千太郎を演じた樹木希林、永瀬正敏、そして河瀬監督が作品への思いを語った。
■リアリティーを追求する河瀬組の現場

Q
樹木さんと永瀬さんは映画『ピストルオペラ』(2001)以来の再共演、永瀬さんは初の河瀬組への参加でしたが、撮影現場を共にされていかがでしたか?
- 樹木希林(以下、樹木)
- そんなのあなた、本人を目の前にして、言いにくいわよ?(笑)でも、あたしも72歳になったし、優れた映像監督に接触していきたいって思うんですよね。やはり特殊です、河瀬さんの映画は。
- 永瀬正敏(以下、永瀬)
- 僕は毎日、幸せでした、樹木さんとご一緒だということが。
- 樹木
- ああ、すごいなあ……こんな褒め言葉はないですね。
- 河瀬直美監督(以下、監督)
- わたしの映画に出ていただくということは、わたしの演出の仕方を受け入れていただくことから始まるんですけど、つまりカメラが回っていないところでも役に成り切ってもらうんです。お二人ともそれを受け止める許容量が十分にある方だったので、このやり方で今のわたしたちには何ができるのかということを一生懸命に考えていました。
- 永瀬
- 河瀬組ではいつカメラが回って、撮られているのかわからないんですよ(笑)。その中で樹木さんはずっと徳江さんでいてくれるので、徳江さんを見ているだけでうれしくなったりかわいいなと思ったり、いろんな感情が芽生えてくる。そこでうそをつくとバレちゃうので、その感情が自然なものになるまで待っていただける現場というのは、役者としてもすごく貴重でしたね。
■木が息をしている!? 奇跡の名シーン

Q
映画化するにあたって原作に感じた魅力は何ですか?
- 監督
- 目に見えないものを描いている小説だなあと思いまして、それを映画にするのは本当に難しいことなんですけど、そのぶんやりがいがあるというか。ドリアンさんの作ったストーリーラインはわたしでは書けないものでしたし、そういうものとコラボレートできたらという思いもありましたね。
Q
劇中で徳江さんが「木から湯気が出ている」と言うシーンがとても印象に残っています。原作にはないシーンだったと思うのですが。
- 監督
- 見つけたんですよね?
- 樹木
- 「まるで木が息をしているようだ」と言われて。やっぱり長年やっているとそういう感性が働いて、これは撮らなきゃいけないというのを、感じるんでしょうね。
- 監督
- 前の日に雨が降ると、木が水を蓄えて、そこに朝日が差し込むと木肌から蒸気が立ち上ってくるんです。わたしが別のシーンを撮っているときに永瀬さんがその木を見つけて、樹木さんが「じゃあ、あたしそこにもたれるから、カメラマンさんちょっとこっちに来て、あたしを撮って」って(笑)。
- 樹木
- あたし感心したの、この人(永瀬さん)がね、木が息をしているなんて、よく感じるなあって。
- 永瀬
- たまたま気付いたんですよ。樹木さんの座っていらっしゃる後ろの木から湯気が上がって、ちょうどこう、息をしているように見えたので。監督とハンセン病の国立療養所を訪ねたとき、亡くなった方の一人一人を投影した木が植えてあって、木というものが命のメタファーになっているのを見た経験も影響していたと思います。
- 監督
- 樹木さんはその湯気を瞬時に、徳江にとっての夫だったり、同じように施設に入れられた人たちの気配に移し替えて、映画の中にどう存在させればいいかということも考えて演じられている。だから徳江の主観で見えているだけじゃない、客観的にも意味のあるシーンになっているんですよね。
■翌日の食事をめぐって白熱のミーティング!

Q
樹木さんと永瀬さんはご自分の手でどら焼きとあんを作る練習をされたそうですね。
- 樹木
- うん、粒あんはもともと大好きだったんですけど、当分は食べたくないわね(笑)。
- 監督
- 樹木さんと永瀬さんの作ったどら焼きは、現場のみんなも食べさせてもらって。一日の撮影が終わると永瀬さんはまた練習されるんですよ。だから、千ちゃん(千太郎)の作ったどら焼きが日に日においしくなっていくのを味わわせてもらいました。
- 永瀬
- 撮影前に、(焼き方を)勉強しようかなーと思って、家庭用のホットプレートを量販店で買ってきたんです。でも最近のホットプレートは盤面の中央が高く膨らんだ形になっていて、どら焼きの皮のタネを流してもきれいな円にならないんですよね(笑)。そこで和菓子の先生に相談して、アクリル板にタネを垂らして、円を作る練習をしました。
- 監督
- 千太郎は徳江との時間の中で初めてものを作る喜びを得たと思うんです。その掛け替えのない時間を作るために、完全に順撮りで、劇中と同じように、まだお月様が出ている早朝から撮っていきました。
Q
劇中だけでなく、撮影現場の食事もすごく充実していたとか!
- 監督
- そうなんですよ(笑)。毎日の撮影後にみんなでミーティングをするんですけど、ある日ものすごい討論になって。明日のごはんはどこで何を食べるかという話をしていたんです。わたしが一番白熱しているのはそのあたりのことです(笑)。
- 永瀬
- 食事は根本ですからね。外国の映画に出させてもらうと、撮影中でも食事を一番大事にしているんですよ。ただ、日本の現場ではどうしても犠牲になりがちなんですよね。
- 監督
- 生きることについての映画を作っているのに、メシ抜きとは何ぞや!? おにぎり一個でも、みそ汁一杯でも、ちゃんと食べられる時間を作ろう! と。
■ハンセン病と向き合うということ

Q
撮影を通してこの映画からどんなメッセージを受け取られましたか?
- 樹木
- 自分にはあまりにも無知なところがいっぱいあったなということを、こういう映画に出てみると実感しますね。そういうちょっと恥みたいなものは感じました。かといって、映画を通じてハンセン病について世の中に伝えようという使命感があったわけでもなかったです。あたしが感じたものを表現していると思われているんだろうなあって思うんだけど、それは河瀬監督の過大評価で、なかなかそこまで感じ取れていないのよ……っていうことを、どこかで言おうと思っていたので、今日ここでね。
- 永瀬
- 徳江さんが生きた時間がそのまま映画になっているので、僕は徳江さんが出てくるだけで、千太郎の気持ちになってグッときてしまう。とにかく声を大にして言いたいのは「観てほしい」ということ。いろんな年代の方に観ていただいて、観ていただいたお客さんと話をしたい、と思える映画です。
- 監督
- ハンセン病の患者さん=悲しい、つらい人たちという、社会が作ったイメージでは描きたくなくて。彼らの存在について知らないふり、見ないふりをすることが一番の罪かもしれない。無関心ではなくて関わっていくこと、関わっていった先に何が残るのか、相互の関わり合いから生まれる関係性や物事を描けたらいいなと思っていました。それこそが生きることを肯定し、この世界の美しさを伝えることにもなると思うんです。
取材・文:那須千里 写真:平岩亨