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『ある船頭の話』オダギリジョー監督 単独インタビュー

2019年9月9日 更新

『ある船頭の話』オダギリジョー監督 単独インタビュー

オダギリジョーの長編初監督映画『ある船頭の話』が第76回ベネチア国際映画祭に出品された。しかも出演作『サタデー・フィクション』はコンペティション部門に選出という二重の快挙である。その作風は非常に作家性が強く、強烈な世界観をうかがわせるものだ。オダギリジョーという人がどんなことを考え、感じているのかがよくわかるだけでなく、それを表現として成立させている。なかなかできることではない。映画監督としての彼はどこから来て、どこへ向かうのだろうか。

■本当の幸せとは何なのかを描きたかった

■本当の幸せとは何なのかを描きたかった

Q 船頭というモチーフはどこから浮かんできたのでしょうか?

十年近く前になりますが、熊本の球磨川(くまがわ)で船頭をしていらっしゃった求广川八郎(くまがわ・はちろう)さんをテレビで見たんです。社会や文化が発展して便利になっていく一方で、消えていくものが随分と多いなと日頃から感じていた中、船頭の存在もその一つだなと気づきました。船頭が川に舟を渡す詩的で美しい風景が時代とともに失われていくのはもったいない、でもそれは便利さを求めて橋や車を選んでしまうこちら側に問題があるのではないかと思い、船頭を題材にそういうことを描くアイデアが浮かんだんです。

Q それはご自身に対する問いかけでもありましたか?

そうですね。やはりこの資本主義社会に生きるということは、利便性や効率ばかりに気持ちが向き、時間やお金で物事を計りがちになるじゃないですか。そうなると生活に余裕を持ちにくい。今の時代はスピードが速くて、気がつくとあっという間に一年が終わっていたりしますけど、自分にとってその一年は本当に幸せだったのかと考えると、立ち止まって自分の環境を見直すことが大事なのではないかと思ったんです。

Q この映画では、一見不便に思える舟の上での時間が、とても豊かに見えました。

舟の上に流れるゆったりとした時間、そこで交わされる会話を含めて、今となってはそういうものこそが真の豊かさだったのでないかと思うんです。でも自分にとって本当に大切なものは何なのかがわかっていないと、社会の変化に惑わされて簡単に見失ってしまう。なのでそれをいかに豊かに見せられるか、という描き方に挑戦しました。

■ストーリーよりも人間に興味がある

■ストーリーよりも人間に興味がある

Q そのようなテーマを、神話に近いような形で語るのは、ハードルの高い挑戦だったと思います。

映画を撮る機会をいただいた以上、自分にしかできないものを作りたいと思いました。昨今の映画はテンポよくカットを刻んで、スピード感を出して、お客さんを飽きさせないようにする作り方が主流だと思うんですけど、そこに抗いたかったんです。脚本の段階から、川と舟と小屋しか描かないように、なるべくドラマチックにしないように、今の常識に逆行する書き方をしていました。

Q セリフも情報を伝えるための手段というより、相手との関係性ありきの生きたやり取りとして聞こえました。

今はどちらかというと「ストーリー」を描く映画が多いと思うんですけど、僕は「人間」を描く方を選びたかったんですよね。そのためには、人と人との会話を都合だけで削いでしまうと、関係性も人間としてのキャラクターや奥深さも描けません。難しいやり方ではありましたが、映画を作る・観てもらうということに対しては、むしろ積極的にハードルを上げていこうという意識がありました。「映画」というものに多面的に挑戦しなければならないという気持ちは大きかったです。

Q 「人間」を描くことを想定すると、キャスティングは特に重要になってきますね。そこも敢えて困難な道を選んだのでしょうか。

主演の柄本明さんは俳優としても素晴らしく、尊敬しているので、不安はまったくなかったんです。ただ、「仲がいい」というよりは、ほどよい緊張感を保てる関係だったので、一緒に映画を作る相手としては簡単ではありませんでした。でも僕は映画作り=楽しいものである必要はないと考えていて。ピリピリとした緊張感の中で生まれてくるものに意味があるのではないかと思うので、やはりなるべく楽な道は歩かないようにしようとしています。

■映画は観る側が育てていくべきもの

■映画は観る側が育てていくべきもの

Q 映画全体として、観る側に問いかけるような作りになっていますが、意図的に説明を省いたのでしょうか。

そうですね。僕自身が観る側としても考えたいし、感じたいし、いろんな楽しみ方をしたい。もちろん僕の中には一つの答えがありますけど、それが100%伝わらなくてもいいし、僕の意図とはまったく違うものをお客さんが受け取ったとしたら、そんなに面白いことはない。そういう作品であってほしいと願うからこそ、答えを限定するような要素はできるだけ外しています。

Q 便利さの陰で失われゆくものの行方として、結末にはどんな思いを込められましたか?

時代は止められない中で、失われつつあるものをそのまま手放してしまうのか、あるいは大切にするのか。それはあなた次第ですよということを、観ていただく方に気づいてもらえればいい。いつも思うのは、映画は観る方が育てるべきだということです。作り手側が一方的にこの映画はこうですよと答えを与えてしまうのではなく、観る側が考えることで育っていくのが豊かな映画のあり方だと思うので、ラストもいかようにでも受け取れるような余地を残したかったんです。

■ベネチアの名にふさわしい作家でありたい

■ベネチアの名にふさわしい作家でありたい

Q ベネチア映画祭での反応も気になりますね。

ベネチアには実際に船頭がいますからね(笑)。運河の町なので、まだ船頭が身近な存在でしょうし、余計に楽しみですね。

Q 長編監督デビューとなる今年は、第二のスタートとも言える年になるのではないでしょうか。

ターニングポイントというのは後から気づくものなので、今は自分では意識していないですけど、監督作の出品だけでなく出演作までベネチアのコンペに入るなんて、この先もなかなかないだろうと思いますし、本当に光栄なことですよね。一方で、次に映画を撮ることがあるとしたら、これが大きなプレッシャーにはなるだろうなと思っています。ベネチアの名前に泥を塗らないような映像作家であらねばならないという責任は感じています。

Q 日本映画や、今の日本を伝えることに対して、監督として何かを背負っている自覚はありますか?

日本映画だから、という意識は特にありません。おそらく僕にはボーダーみたいな意識があまりないんでしょうね。日本映画ではあるけれど、海外のスタッフがいてもいいし、その人の良さをちゃんと引き出せれば絶対に作品のためになる。それと同時に僕はやっぱり日本のことがすごく好きなんです。文化も景色も、すべてが海外に胸を張れるものだと思っているからこそ、こういう作品を撮りたかったですし、そこに海外の目線も取り込みながら描けたと思うので、作る以上は海外の方にもできるだけ多く観てもらいたいと思っています。

取材・文:那須千里 写真:上野裕二

映画『ある船頭の話』は9月13日より全国公開

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