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『はるヲうるひと』山田孝之 単独インタビュー

2021年5月31日 更新

『はるヲうるひと』山田孝之 単独インタビュー

俳優の佐藤二朗が主宰する演劇ユニット「ちからわざ」の舞台を、原作者である佐藤自らが脚本・監督を務め、山田孝之主演で映画化した『はるヲうるひと』。売春宿が点在する架空の島を舞台に、行き場のない思いを抱える男女の姿を描く本作で、山田は、持病に苦しむ妹・いぶき(仲里依紗)をいたわりながら、冷酷非情な兄・哲雄(佐藤)の暴君ぶりに怯える主人公・得太をもがき苦しみながら演じている。脚本を何度も読み返し「涙が止まらなかった」という山田が、佐藤監督とともに命を吹き込んだ本作への並々ならぬ思いを語った。

■1度オファーを断った「関西弁」

■1度オファーを断った「関西弁」

Q 脚本を読んで、佐藤監督に「魂が震えた」というメールを送られたそうですね。

この物語に登場する人たちの人生を文字で追っていったら、涙が止まらなくなりました。特に主人公の得太がとにかく可哀想で、情けなくて。この孤独な青年を救うことはできないけれど、せめて寄り添ってあげられたら……そんな思いが「魂が震えた」という表現になったのだと思います。

Q でも、佐藤監督からのオファーを1度お断りになったそうですね。

それは、得太の役が関西弁だったからですね。もちろん、二朗さんの監督作品ですし、脚本も素晴らしかったので、即答したかったのですが、関西弁がマストであれば、関西出身の方に演じてもらった方がいいと思ったので。と言うのも、過去に方言でしゃべる役をいただいた時に、方言指導の先生から指摘を受け、つねにそこ(方言)を意識しながら演じたので、感情100で行けなかったんですよね。その苦い経験があったので、1度お断りさせていただきました。

Q それが一転、お引き受けになったのはなぜですか?

二朗さんから、「そんなことはマストじゃない、孝之がやってくれるなら標準語でぜんぜんかまわない」とおっしゃっていただいたので、「だったら、ぜひやらせてください!」ということで、引き受けさせていただきました。

■佐藤二朗はコメディーがすべてじゃない

■佐藤二朗はコメディーがすべてじゃない

Q 佐藤監督とは、福田雄一監督のコメディー作品でご一緒する機会が多いと思いますが、今回はガラリと変わってシリアスな内容、しかも監督と俳優という関係性もあり、やりづらさはなかったですか?

特にやりづらさとかはなかったですね。なんというか、「二朗さんとやる時は、いつもこうだ」みたいなものはないですし、それぞれ現場によって違うので。確かに福田監督の作品をはじめ、コメディー映画にたくさん出られているので、ご覧になる方はそういうギャップを感じられるとは思いますが、僕らから見れば、二朗さんは俳優として、あるいは監督として、いろんなことができるし、コメディーだけじゃないことをみんなわかっているので、シリアスな内容だから「二朗さんらしくない」とか、そういうのはまったくないんですね。

Q 佐藤監督の演出はいかがでしたか?

ご自身が舞台で演じたときの画像を3枚くらい見せてくれて、「こんな感じだった」と説明してくれたくらいで、あとは「ここはこう演じてほしい」とか、あまり細かい演出はなかったと思いますね。ただ、金髪にしてほしいとだけ言われました。

Q 佐藤監督は、山田さんたちの演技をカメラ越しに見て、「俳優ってすごいな」と思ったそうですが、その瞬間、自分が演じるのが怖くなって尻込みしたそうです。

テストの段階では、監督としてお芝居を客観的に見ていますからね。それに、二朗さんに関しては、テストができないので、毎回いきなり本番なわけですから。それも含めて、とんでもないことにチャレンジしているなと思いました。僕は絶対にできません! メンタル、フィジカル、どっちも死ぬ(笑)。

Q あらためて気付いた佐藤監督の意外な一面はありましたか?

普段からすごく気を遣われる性格は知っていたんですが、作品に関わる俳優、スタッフ全員に対して本当に優しくて、リスペクトする気持ちがあって、「愛があるなぁ」ってあらためて思いましたね。

■芝居が観客の人生を変える瞬間もある

■芝居が観客の人生を変える瞬間もある

Q つらい幼少期の記憶を抱えながら生きる得太の胸の内は、想像すら難しい複雑さです。山田さんは演じる上で、どのように気持ちを積み上げていったのでしょう?

誰しも、過去につらい思いとか、孤独を感じたりとかはあると思いますが、あそこまで誰にも頼れず、相談もできず、追い込まれ続けた人ってなかなかいない。だから、おっしゃるように理解することはとても難しいと思います。でも、僕は得太を演じなければならないので、「理解できなかった」で済ませちゃいけないんですよね。理解するためにとことん歩み寄って、得太と同じように、つらくて苦しい感情にならないといけないんです。

Q その場合、ご自身がつらかった実体験を思い出し、役に持ち込んだりするのですか?

それはないですね。僕の場合、どんな役でもそうなんですが、「記憶」を作るんです。例えば、ここにペットボトルの水があるとして、「母ちゃん、この水好きだったなぁ」とか、「母ちゃん、重いのにいつも持ってくれたなぁ」とか、思い出を作り上げる。だから、そこに“自分”はないんですよ。むしろ、“山田孝之”としての記憶を消して、演じる役に合った記憶を「ねつ造」する感じです。うれしかった思い出も、悲しかった思い出も、全部つくって、ずっとそれと向き合っていく感じですね。たぶんそれが、僕にとって「お芝居をする」ということになるんだと思います。

Q 山田さんの演技を見ていると、本当に(得太が)つらそうで胸が痛くなりました。

僕もメチャクチャつらかったですよ。ただ、いつもそうなんですが、苦しいけれど、そこまで自分の感情を持っていけるって、逆に面白いことだなぁと思って。こういう仕事ってなかなかないじゃないですか。それに、映画をご覧いただいた人の気持ちが動いて、人生を変える瞬間もあったりするので、お芝居ってやっぱりすごいなと思いますね。例えば得太を見て、「孤独なのは自分だけじゃないんだ」とか、「もっとつらい思いをしている人がいるんだ」とか、「この人と比べればまだ救われている」とか、捉え方はそれぞれだと思いますが、絶対に意味のあること。だから芝居を続けているんだと思います。

■俳優が腑に落ちなければいい芝居はできない

■俳優が腑に落ちなければいい芝居はできない

Q 山田さんも『ゾッキ』で初めて監督を経験されましたが、俳優が俳優を演出することに対して、何か思うことはありますか?

重要なのは、その人がどういう人間か、あるいは俳優やスタッフさんとどういう関係を築けているかだと思うので、ずっと監督をやっている人だからこうだとか、俳優が今回監督だからどうだとか、そういうのは特にないですね。監督さんだって俳優をやる時があるわけだし、お芝居をすればその時点で俳優なので。ただ、長年俳優をやってきた経験から、監督に「こういう風にされたら嫌だな」というポイントは少なからずあるので、そういったところは注意したりはします。あとは、演じる本人が腑に落ちていなかったらいい芝居にならないので、周りの人間がとやかく言わない方がいいと思っています。脚本が手に渡った時から、俳優がその役を一番愛し、そして一番理解しようと心を砕いていると思うので。

Q 『ゾッキ』の竹中(直人)さんも、佐藤監督も、「孝之じゃなきゃダメだ!」とおっしゃっていましたが、指名されると逆にプレッシャーを感じたりしませんか?

すごくうれしいことですし、ありがたいこと。素直に「わかりました! できる範囲でがんばってみます!」って感じで、プレッシャーはまったくないですね。

Q 逆に山田さんが、後輩に対して「面白いのがあるけど、やってみない?」とか持ちかけることはありますか?

そもそも年齢とか性別とか、もっと広く言えば国籍も宗教も気にしないというか、そういう基準で人を見ないので、何か誘うときも、相手が興味あるかどうかで判断します。ただ、僕が先陣を切って「何かをやろう」なんて言ったことって、ほとんどないんです。表向きには僕がいろいろやっているふうに見えるようですが、だいたい「これ、やってみない?」って誘われて、やっと重い腰を上げるタイプですから(笑)。
撮影現場に入れば、演じている感覚がなくなるほど、役に没入してしまうという山田。そのプロセスは、心の痛みを伴うほど壮絶なものだが、到達点に行き着いた彼の演技は、まるで強力な磁石のように観客を映画の世界に引きずり込む。芝居を愛し、芝居に愛された山田の神髄が、得太にも宿っている。
ヘアメイク:灯(Rooster)/スタイリング:五月桃(Rooster)
© 2020「はるヲうるひと」製作委員会

取材・文:坂田正樹 写真:尾藤能暢

映画『はるヲうるひと』は6月4日より全国公開

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