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君の名は。 (2016)

YOUR NAME.

監督
新海誠
  • みたいムービー 6,277
  • みたログ 6.6万

4.12 / 評価:58,777件

伝統(歴史)と現(現代)の融合

  • mon***** さん
  • 2016年8月30日 23時12分
  • 閲覧数 255
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

三葉は伝統の村で歴史に縛られ生きている。
瀧は現代の都でただ現を見て生きている。

現に伝統が宿り、新たな文化がうまれる。
伝統を軽んじた時、文化は力を失う。
現を軽んじた時、物語は力を失う。

 日本のアニメーションという小さい世界で考えると、新海監督は今まで、自分の世界の構築に、デジタル(CG加工)という道具を用いてきた。描かれた背景に光と影を与え、光(色)を動かすことで、彼の世界はほかのアニメーションとは違う、彼の世界を構築している。

 写実的だが実写でない、光(色)と影の情報が引き伸ばされる形で情報が整理されている。必要な光(色)と影をより際立出せ、動かすとこが新海世界の秘密であると思う。

 ここでジレンマが生じる。物語るための「人」はどうすればいいのか。新海監督は前述の技法に、親和性のある、記号としてのセルアニメの技法を用い「人」を描き、主人公の主観を語らせる形で物語を進行させる。
 本来、セルアニメの技法と新海世界の技法は相いれない部分が多いのである。通常のアニメは背景の情報をコントロールしてアニメキャラと整合性を持たせる(星を追う子ども)が、それでは新海世界(言の葉の庭)は構築できない。

 作画アニメーションには莫大な時間(金)がかかる。そのために今までは困難だったのかもしれない。だが今作は、日本のアニメーションを文化とまで言わしめるに至るアニメーターが、数多く参加している。彼らはさらにその前のアニメーターから技術を引き継ぎ己が物としてきた人たちである。
 この職人表現者集団が加わったことにより、「人」の幅が格段に広がっているように思う。(三葉の走馬燈の場面は久々にアニメーションを見ている気分になった。)もう少し作画を信用した脚本コンテだったら、もっと良くなっていたかもしれない。

御神体の地

 この地の景色は変である。あの外輪山、あれは明らかにクレーターのあと。しかしそこには植物が存在しない。ここに至る道筋では、植物が明らかに少ない。日本では、あれだけ植物の少ない場所は限られる。また、村の湖がクレーターであったいう指摘はあるが、あんなに見事なクレーターについての指摘は一切ない。あの地はきっと神話の地なのだと思う。どこかの時点で、神話の地に入り込んでいるのだ。そして、川を渡るとそこは、神の世界になる。その中心に、ご神体がある。

 三葉の体で瀧の魂が三葉の半身を奉納する。瀧の体で瀧の魂が三葉の半身を飲み干す。瀧が見る三葉の走馬燈、瀧の体に三葉の魂が流れ込む。
 三葉の魂は瀧の体に宿る。瀧の魂が三葉の魂と入れ替わり、最後の眠りから覚めた三葉の体に宿る。
 魂が求め合い、二人が出会う。時間を超えて紡がれた空間。そこは神話の世界。そして、魂が元の器に戻る。

 ここで語られる二人の世界は、人が太古から求めてきた物語の真理の一つである。文化伝統を受け継いできた三葉にしか、この回答を引き出すことはできない。(その裏で起こる恐ろしい出来事の数々も物語の真理の一つであるが、本作ではあまり見せない。というより、隕石により失われた世界があるいみその恐ろしい現世だったのかもしれない。)

時間の概念について

 この物語での時間はルーチンワーク、歴史は繰り返す。という意味以上のものは恐らくない。時間軸のことを考える場合の最大の問題点は、
 未来を知りたいという欲求。それに伴い、自分の死を認識した時、それについ
 てなんらかのリアクションを起こすはずである。
というものである。
 ここで重要なのは三葉が3年後(近未来)の自分が、今の自分と違う何者かになっている可能性が示されているか、ということだと考えられる。本作では未来の自分への期待よりも、ほかの何者かになる妄想の方が、はるかに大きい状態であることが示される。
 よって、三葉は未来を詮索することよりも、瀧であることを楽しむことに全力な方が、自然なのである。三葉は恐らく、3年後の自分など見たくもないのかも知れない。だから、たとえこの状況が近未来だと知っていたとしても、忘れたい村の事など詮索しないのだ。

 それぞれが求めていたが持っていなかった空間が入れ替わりの先にあるとき、その場所は心地いい物なのかも知れない。三葉の過度な干渉により、瀧の空間に大きな変化が起きた時その状態の危うさに初めて気が付き、なぜ自分がそこまで干渉したがったのか、気が付いたのだろう。
 そして、せめてもの証として組紐を手渡すことにしたのだ。隕石が落ちなくても、この交流はここで終わったのかもしれない。

 色々と問題点があるにしても、この作品は素晴らしいと思う。過去の商業アニメーションでは描けていなかった何かが、確実にある。
http://masujiro-u.hatenablog.com/entry/2016/09/03/224657にグダグダと字余り分を書いてます。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

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  • 恐怖
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