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巨大なる戦場 (1965)

CAST A GIANT SHADOW

監督
メルヴィル・シェイヴルソン
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3.11 / 評価:9件

『人生はスペクタクルなスポーツではない』

☆デイビッド・マーカス将軍のモットーは『人生はスペクタクルなスポーツではない』という言葉
時は1948年、イスラエル建国の為、アラブ諸国の圧力に抗して、砲火と鮮血にまみれた戦いを続けるイスラエルの戦士たちの中に、一人のアメリカ人がまじっていた。その名はデイビッド“ミッキー”マーカス。第二次大戦中、ルーズベルト大統領の軍事顧問として、マーシャル将軍の良き補佐役として、またノルマンディー上陸作戦のパラシュート空挺隊の一員として、数々の功労賞に輝いた人だが、戦後はニュールンベルクや東京の戦犯裁判の組織者として活躍したのち、民間の一法律家として平和な生活を送っていたのが、再び戦乱の中に飛び込む破目となったのは、生来の正義心と冒険心のおかげで、イスラエルとアラブの間に休戦協定が発効する僅か七時間前、味方の弾丸に誤って射たれ命を落としたことが、彼をいっそうドラマチックな英雄に仕立てあげている。
☆この映画でロケーション進行係をつとめたジョー・ラ・ベルは、紛争たえないイスラエルとアラブとの国境で、アラブ側の狙撃兵に悩まされた。しかしロケ地の選定をまかされていた彼は、映画の迫力を盛り上げるため、戦闘なまなましい危険区域を選ぶので、出演者も気が気ではなかったという。
☆この映画で使用されたマシンガンは340挺。弾薬70万発。シェイベルソン監督は「小国の内乱ぐらいなら、いつでも応戦して勝てる戦力だヨ」と自慢していた。
☆ロケの中心はイスラエルの都市テル・アビブであった。戦闘シーンはネジーブ砂漠を中心に行われ、聖書でもなじみ深いナザレの村、エルサレム、パルマチム海岸、ヨルダン河などで行われた。灼熱の雰囲気とリアリティが見事に描かれている。
∽1960.「栄光への脱出」

現在、エルサレムの丘の上に高さ3mの「黄金の碑」が建立されているが、モーセ、メンデルスゾーン、アインシュタインなどの傑出した猶太の偉人達にまじって、上から4番目に「偉大なる人道主義者、ゼネラル・樋口」とあり、その次に樋口季一郎の部下であった安江仙弘大佐の名が刻まれている。1938年3月、ビロビジャンから逃れた2万人の猶太難民が、元陸軍中将の満州国のハルビン特務機関長樋口季一郎氏によって助けられるという「救出劇」(オトポール事件)が起きている.ちなみに、彼は露西亜革命成立後、露西亜へ入った最初の外国人だった。(1925年に1ヶ月の露西亜視察旅行をし「ソ連の内幕」を備に見聞した)
1937年12月26日にハルビンで開かれた第1回の「極東猶太人大会」で、樋口季一郎(陸軍少将・のちに中将)は、次のように演説した。猶太人を追放する前に、彼らに土地を与えよ! 安住の地を与えよ!そしてまた、祖国を与えなければならないのだ。日本は猶太人と協力し経済的接触を保つことに関心があると述べたのである。」
後、悲劇の島アッツ、キスカ方面軍司令官となり、「太平洋戦争最大の奇蹟」を演出した異色の将軍
1965「太平洋奇跡の作戦 キスカ」

ものごとを『善悪』 『正しい、間違い』ではなく、『事実』だけから冷静に見ようとするならば、欧羅巴全体を覆っている光のあたらない、残り半分の『闇の部分』を不可避に担当したのがナチスだったと考えることができる。ナチスが登場するまで、欧羅巴全体が猶太人を毛嫌いしていた。ナチスは、結果的に基督教欧羅巴社会の「対猶太政策」の総仕上げを行なったのである。(結局彼らは、欧羅巴社会の「猶太人問題」を中東の亜剌比亜世界に押し付けてしまったのだ…)
※ 現在の欧羅巴人の「ナチス断罪」には、ナチスを「スケープゴート」にして、猶太人排斥を打ち止めにしよう、という動機が含まれている。(独逸は戦後、「ナチズム」の教訓から、「ネオナチ」はもとより「ホロコースト」についても言論を厳しく統制し、疑義を挟む事さえ、法律で「禁止」してしまった…)

詳細評価

物語
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演出
映像
音楽

イメージワード

  • スペクタクル
  • ロマンチック
  • 不気味
  • 勇敢
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