ここから本文です

楽園からの旅人 (2011)

IL VILLAGGIO DI CARTONE/THE CARDBOARD VILLAGE

監督
エルマンノ・オルミ
  • みたいムービー 16
  • みたログ 31

3.33 / 評価:9件

修行だと思って観てみましょう

  • シャオフー さん
  • 2013年8月30日 15時44分
  • 閲覧数 1394
  • 役立ち度 13
    • 総合評価
    • ★★★★★

大変失礼な話だが、80歳超の監督は毎度「これが最後の作品
になるかも・・・」と思ってできるだけ観に行くようにしています。
(エルマンノ・オルミ監督は82歳です)

私は信仰を持たないので、寓意に満ちた本作が
観賞中にほとんど理解できず、数日悩んでいました。
これからいくつか作中のセリフなどにも言及しますが、「ネタばれ」
のつもりではなく、本作を観る前に知っておいた方がいい情報と
考えました。純粋な気持ちで解釈に臨みたい方はご注意ください。

イタリアの古い教会が通う者も少なくなり取り壊されようとしている。
慎重だが容赦なく引き剥がされる祭具や聖人画。磔のキリスト像は
憐みの表情を浮かべている。司祭のほかは誰もいないこの場所に、
アフリカからの難民が寓を求めて何人も逃げ込んでいた。
この小さな世界で、思いがけない人間模様をみることになる―

映画の中では登場人物たちの名は呼ばれませんが、パンフを読むと
実はアフリカからの来訪者たちには名前があります。春を売って
生きる女が「マグダ」で、その恋人が「ケルビム」だったりと、
それぞれが聖人や天使の名前なのです。(赤ん坊を産むなど)
彼らの行動は「何か」をなぞらえていると言えそうですが
詳細にはわかりません。おそらく、教会に必要なものを奪われて
しまった司祭が、いったんは自分の信仰に揺らぎが生じたが、
異教徒たちの姿に神の軌跡を見ることになり、再び神の存在を
確信するまでの話だったと解釈します。

司祭は、怪我をした難民の手当てを引き受けていた医者に対し、
かつて教区の信徒の女性へ慕情を抱いたことへの苦しみを告白
します。一方で、気持ちを踏み出さなかったことも後悔しています。
「私が司祭になったのは、善を行なうためだが、善を行なうのに
信仰は必要ない。善行は信仰に勝る」と呟きます。信じる宗教を
超えて、難民たちを助けたいと考えていたのでしょう。そしてついに、
難民たちを追い立てる保安部隊長に一喝して彼らを追い返します。

その夜、弱りゆく体を横たえて、神に問いかけます「今の私には
慈悲の情が湧いてこない・・・(略)あなたも孤独を経験された。
いまわの際に」。そのあと司祭が亡くなるシーンなどはまったく出て
きませんから誠に勝手な考えではありますが、かつてキリストが
したように、罪深い者たち(ここでは、教会を取り壊す者、難民を
取り締まる者など、同じイタリア人たち)が、司祭の「死」によって
贖われるというか、神に近づけることを暗示していたと思えたのです。

本作は、教会の中だけでの話であり、ここに入れ代わり立ち代わり
登場人物が出入りする舞台劇のようなつくりです。個人的には
映画として、ちょっと面白味がなかったと思います。
それと主要キャスト二人がイタリア人ではないせいなのか、
台詞と映像が合っていない(音声別撮り??)のが気になりました。
キリスト教のことを少しでも知らないと、退屈きわまりないと
感じられるかもしれませんが、全然知らない私でも真面目に
(感想を)考えるよいきっかけとなりました。
これも「修行」のうちでしょう!(あ。これは仏教・・・)

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 悲しい
  • 不思議
  • 知的
このレビューは役に立ちましたか?
利用規約に違反している投稿を見つけたら、次のボタンから報告できます。 違反報告
本文はここま>
でです このページの先頭へ