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私が、生きる肌 (2011)

LA PIEL QUE HABITO/THE SKIN I LIVE IN

監督
ペドロ・アルモドバル
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3.71 / 評価:300件

解説

『トーク・トゥ・ハー』のペドロ・アルモドバル監督が、ティエリ・ジョンケの小説「蜘蛛の微笑」を原作に放つサスペンス。亡き妻の代役を創造しようとする形成外科医と、そのゆがんだ愛情のいけにえとなってしまった者の姿を、退廃と官能が入り交じる鮮烈なタッチで活写していく。『アタメ』以来となるアルモドバル監督とタッグを組むアントニオ・バンデラスが、これまでのワイルドでセクシーなイメージを封印し、狂気に支配された形成外科医を怪演。彼によって別人にされていくヒロインにふんした『この愛のために撃て』などの注目株、エレナ・アナヤの肌と肢体を惜しげもなく披露した熱演も見ものだ。

シネマトゥデイ (外部リンク)

あらすじ

最愛の妻を亡くして以来、完ぺきな肌の開発研究に打ち込む天才形成外科医のロベル(アントニオ・バンデラス)。あらゆるモラルを打ち捨ててしまった彼は、ある人物を監禁して禁断の実験に取り掛かることに。それは開発中の人工皮膚を全身にくまなく移植して、被験者を亡き妻へと作り変えてしまうことだった。着々と妻の代役を創造させていくロベルだったが、思いも寄らぬ事態が起こってしまう。

シネマトゥデイ (外部リンク)

映画レポート

Photo by Jose Haro (C) El Deseo
Photo by Jose Haro (C) El Deseo

「私が、生きる肌」悪魔的快楽領域に冷ややかに踏み込んだアルモドバルの問題作

 目の前にサイズを変えたソレが並んだ時には、さすがにコレを画面に出してしまう悪趣味に唖然としたが、考えてみればペドロ・アルモドバルはそもそもギンギラギンにさりげなく、ではなくギンギンの色彩感覚を持ったあからさまに悪趣味な(ところもある)映画監督ではあった。ソレを具体的に書くことはさすがに憚(はばか)られる。その使用目的が外科手術の最終段階における強制なのである。そして完了した<人体>とは……!?

 ねじくれた復讐が大好きなアルモドバルが危険なこの題材(原作小説はフランスの作家、ティエリー・ジョンケ、ハヤカワ文庫に邦訳あり)を得たということは、渡りに舟であった。原作を未読であれば幸い、これは観てから読むべき典型例だ。ラストは小説の方がドス黒くキメている。薬品、注射針、手術器具、実験器具など、形成外科医ロベル・レガル(アントニオ・バンデラス)の自宅の秘密部屋に整然と存在する様は、ダミアン・ハーストの薬品+器具アートとドライに連携したかのようで、ポップで美しい。

 妻の火傷、自殺から始まった植皮研究がエスカレートしていき、娘のレイプ事件がもたらした復讐戦もあって、「私が、生きる肌」のバンデラスはジョルジュ・フランジュの名作「顔のない眼」などの禁断をさらに越えた悪魔的快楽領域に冷ややかに踏み込んでいく。人体の表層=スキンはある意味映画の目眩ましにすぎない。バンデラスの屋敷に監禁状態にある、亡くなった妻と瓜二つのベラ・クルス役エレナ・アナヤの肉体が画面を支配しつづけ、微乳が<意味>を持つ……。(滝本誠)

映画.com(外部リンク)

2012年5月24日 更新

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