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上映中

菊とギロチン (2018)

監督
瀬々敬久
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3.72 / 評価:60件

女相撲とアナキストのコラボ

  • 文芸サロン さん
  • 2018年7月11日 15時14分
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    • 総合評価
    • ★★★★★

 女相撲は1960年台まで行なわれていたが、このことを知る者は少ない……。そんな冒頭のナレーションのおっしゃる通りで、小生もこの存在は今まで知らなかった。
 これはアメリカが第二次世界大戦当時に女性の野球リーグをしていた、というのとは異なる。女相撲は十八世紀に始まっていた、れっきとした興行なのであった。
 ただし大相撲のような「場所制」などなく、いくつもの団体がそれぞれの興行を巡業形式で行っていたという。つまり今日ではプロレスのほうがよほど雰囲気が近いものであった。
 ただでさえ相撲は女人禁制の世界である。女相撲が十分な社会性を手に入れることもなく消滅したのは、当然のことといえるかもしれない。しかしその社会から疎外された女相撲も、そこで生きる当人にとっては大事な生き場なのだ。
 こんな辺りから、映画の反社会的ともいえるテーマが導き出される。社会に認められない人たちは、まさしくドラマとして最も重要な対象なのだ。
 そしてこの女相撲の世界に、当時実在したアナキストのグループ「ギロチン社」が物語に絡む。さながら「東海道四谷怪談」&「忠臣蔵」をコラボさせた深作作品のようなところがある。本作では「反権力」という一点で、女相撲と穴生ズムの間にメッセージを盛り込むというのが本作の意図にほかなるまい。
 映画は関東大震災直後の時代の物語だ。この震災では在日朝鮮人の破壊活動を阻止するためと称して、自警団が朝鮮人たちを大勢殺す「亀戸事件」が起きている。映画には軍隊、警察などの官憲が主人公たちの前にしつこいほどに立ちはだかる。この映画では日本の戦前の官憲こそが唯一の悪役なのだ。
 その権威に負けてはならない、ということが映画の重要なメッセージとして提示される。とはいえ少々反朝鮮人感情を強調しすぎて、いささか政治的に偏りすぎているのが気になる。
 中盤あたりから、アナキスト活動家と女力士のロマンスが浮き彫りになる。この物語性こそが一番映画を魅力的にする要素であっただけに、残念ではある。
 低予算の作品なのは歴然としている。これも邦画の台所事情からしてやむなしなのは理解する。しかしそれでも、当時は存在しなかったような景観が出てくるとどうもそれだけで興趣が冷めるのは避けられない。自分の趣味だからなのだろうが、これはどうしようもならない。

詳細評価

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