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自転車泥棒 (1948)

LADRI DI BICICLETTE/THE BICYCLE THIEF/BICYCLE THIEVES

監督
ヴィットリオ・デ・シーカ
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  • みたログ 838

3.98 / 評価:236件

哀しいけれど、人の繋がりを感じさせます。

  • pin***** さん
  • 2018年12月2日 7時24分
  • 閲覧数 842
  • 役立ち度 3
    • 総合評価
    • ★★★★★

戦後イタリア映画のネオ・リアリズムの作品なんだそうですが、ひたすら悲しい世界が描かれているだけです。もちろん、たんなる悲しい物語と言うのではなく、やはりそこには貧しいものたちのもつ力強さも感じるのですが。

戦後の混乱期、働きたくても仕事がない多くの人たちの中、ようやく仕事にありついたものの、条件である自転車を盗まれて、仕事ができなくなる男の物語です。

必死になって自転車を探す男と子供。
手がかりをつかんでようやく取り戻すかに見えたものの、結局、盗まれた自転車は戻ってきません。
追い込まれた男はやむにやまれず、自分も自転車を盗んでしまいます。
しかし、すぐにつかまり、子どもの見ている前で、警察に突き出されそうになります。
悔し泣きをする男と、すがりつく子供の姿でこの映画は終わります。

男が盗まれた自転車を探して歩き回る姿は、ちょうど黒澤明の『野良犬』を思わせました。
同じ敗戦国であり、盗まれたものを探すというシュチュエーションが似ているのでしょうか。
ただし、ラストは全く違います。
カタルシスが待っているのではないかと思わせながら、どん底に突き落とされるような終わり方をします。

でも、不思議なのは、このあまりに悲惨な終わり方が、意外にも悲惨に感じないのです。
それは、もしかしたら、不幸なのがこの男だけなのではなく、もしかしたら、自転車を盗んだであろう男もこの男と同じように不幸なのではないかと思わせるからでしょうか。
また、自転車を盗んだと思しき男が、地域社会に守られているのと同じように、自転車を盗まれた男も、彼を支える仲間がいることを示唆しているせいでしょうか。

見ていて、この男の要領の悪さにはイライラさせられますが、逆に、その要領の悪さがこの男の誠実な人柄を思わせもします。
こういう男だからこそ、子どもにも慕われるのかもしれません。

現代の人には悲しいだけの終わり方が喜ばれないようですが、それは、現代が人と人のつながりが希薄で、このような状態に陥ったら、まったく救いようがなくなってしまうからではないでしょうか。
僕には、ここまで落ちてもまだ救ってくれる地域社会や仲間がいる時代のほうが人は幸せだったのではないかとすら思えたのです。
それにしても、出演する俳優がオール素人と言うのには驚かされます。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 泣ける
  • 悲しい
  • 切ない
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