自由の幻想

LE FANTOME DE LA LIBERTE

PG12104
自由の幻想
4.1

/ 49

45%
33%
14%
4%
4%
作品情報上映スケジュールレビュー

作品レビュー(11件)


  • mik********

    4.0

    型破りて革命的な表現

    70年代のフランス映画としては、型破りながらも今までない革命的な常識破りと自由な作りになっており、「いたずら」な映画ではない全編楽しくて自由な常識や道徳な表現さもあって、104分があっという間だったね。

  • 一人旅

    4.0

    不自由なくして自由は有り得ない

    ルイス・ブニュエル監督作。 以前某番組でマツコ・デラックスが“自由は不自由”と発言していたのを覚えている。学生だったその時は真意が分からなかったけど、社会人になって最近ようやくその意味が分かった。仕事に長時間拘束される平日という不自由があるからこそ、土日という自由の尊さや有難みが実感できる。 自由と不自由は2つで1つだ。不自由のない自由はもはや自由とは呼べない。 自由と不自由のバランスが大事なのに、本作で描かれるエピソードは自由過ぎる自由なものばかり。ナポレオン軍がスペインを侵略するエピソードでは、フランスの過激な自由が、スペインの過激な不自由として跳ね返ってしまう。 意味のありそうなエピソードだけでなく、ただ単にシュールなだけで意味の無い映像世界も盛り込まれていて面白い。 “食事と排泄が逆転したら・・・?”のシチュエーションが一番笑えた。 テーブルを囲んで皆恥ずかしげもなく用を足す。なのに途中で席を立ち、コソコソ個室に入って肉を食う(排泄)のだ。狙い過ぎな演出だと分かっていても、あまりの勢いの良さに負けてしまう。

  • ZZZ

    4.0

    シュールな小噺の連続

    ルイス・ブニュエル監督の”自由”というものを問う作品との事。 しかしながら、実際鑑賞してみると、その様な堅苦しさは殆ど感じられず。所々、シビアな場面こそあれ、全般的にはシュールな小噺(笑い話、不思議な話など)を連綿と綴ったもの。 という訳で、物語全体を通した主人公は存在しない。ただ、1話完結的な小噺を何か(たまたま知り合った人物、物など)を通じて流れる様につなぎ合わせている。 話によっては、”結局、何?”という様なものもあるものも、全体的に面白い作品だった。

  • mih********

    5.0

    シュールなどではない!

    例えば、 私が自由を体現したとして、 美術の時間に画用紙いっぱいに黒色を塗りたくって 『黒の正方形です!』とか、 逆に何一つ描かないで『画用紙B』なんて言ったら、 一発でD評価です。 また、 私は犬が大きな蜘蛛とか、 ジャンボ・ジェットとか、ヨーロッパに見えると言ったら、 誰一人として取り合ってくれないでしょう。 しかし、 私が犬をライン川やチュイルリー宮殿やベルギーのあるヨーロッパだと言おうが、 空のことを地面だと思おうが、 足が頭だろうが、それはその人にとっては自由です。 そしていつもこのような世間一般の常識や事実とかけ離れたことを言い続けていれば、 『あの人はシュールだ』 とか 『頭がおかしい』 とか言われるでしょう。 しかし、 私にしてみれば、 それは何らシュールでもなんでもなく、 ただ自由に思想した結果なのです!  俺は今ヨーロッパを散歩させてるところだ、  このヨーロッパは夜にひどく吼えるんだけど可愛い奴だよ。  俺は今までずっと考えてきたんだが、どうやら俺の脚は頭らしい。  俺の頭は足だから、いつも逆立ちで歩いてんだ!  お前が何と思おうと、俺の脚は頭だ!!  それは俺の自由だ!!!                       ・・・と言う映画。 ブニュエル監督が自由に思想した結果、  エッフェル塔の写真がエロ本に見え、  ナポレオン軍と昼下がりの公園が同居し、  お客さんたちがリビング・ダイニングに設置された  トイレに座って(無論ズボンは降ろして)談笑し、  警視総監が犯罪者で、  その警視総監は別の警視総監と同じくらい偉く、  目の前にいる娘は実は誘拐されているが、  娘は親のそばにずっといる世界になった。 私は今作を見て、 『ホット・ショット』や『最終絶叫計画』とえらく似ていると思った。 上の二つの映画は、 それこそあらゆる大作映画をごた混ぜにして、 原作に対し何の尊敬も見せず、 かなり冷淡に笑い飛ばして一つの映画にしているのだが、 今作も同じである。 全然違うとしか思えないが、どうしても似ているのだ。 全くゲージツ的要素とは無縁な チャーリー・シーン主演のハリウッド製コメディ映画が、 この世で最も高尚とされる物の一つである気取ったおフランス製難解映画の、 それもインテリぶってるやつが必ず用いる  “ゴダール、トリュフォー、卵焼き” の仲間のブニュエルの映画と、 どこがどう一緒なのか!? それは、 今作が自由と言う概念を徹底的に笑い飛ばしているからだと私は思った。 今作は自由と言う概念のパロディーだ。 その例は上に示した通り、どこまでも自由である。 自分が自由だと思うことを突き詰めていけば、 それはもはや人とは全く異質のものになってしまう。 それこそ“シュール”になってしまう。 しかし、 ブニュエルにしてみれば、 それはただ単に自分が思ったことを映像にしているに過ぎない。  お前らが何と思おうと、俺の自由だ、 と言うわけ。 まったく、 自由なんてのは個人個人で何一つとして同じではない。 自由と自由の主張。 相手の自由をねじ伏せる自由。 何とも笑える。 だから今作は、 シュールでもなんでもないと私は思う。

  • obaba

    5.0

    アナーキー映画の傑作

    説明など要らない!見れば分かる。タイトルそのものが見れるのだ。留学前にカルチャーショックを最初に感じた作品である。

  • agu********

    4.0

    自由な映画であるが故にしんどい。

    本作は非常に自由な作風の映画である。 私たちの日常シーンでは絶対に起こらない様なシニカルな ことが次々と発生し非常に驚かされる(そしてときどき笑える) 映画というのはありえないことを表現することが 出来る非常に便利なツールだ。とこの映画を見て感じた。 しかしながら、他人が描いた自由な発想というのは 他の人からするとほとんど同意出来ない様なものである ことも多々あると思う。 映画が自由であるのは素晴らしいことだと思う。 だけど、私は多少人に見せるために作りこまれていても 人と感動や笑いを共有出来る様なそんな映画に魅力を感じる。

  • nar********

    5.0

    永遠に観ていたい

    "間違い"探しみたい 「ハイここ!通常○○は△△であるべきなのに××しちゃってる」 "通常"とは? "普通"であること "普通"とは 私個人が考える"普通" 日本人の一般的習俗 人種や文化が異なった人が観ると、私がスルーした(=普通だと思った)シーンがツボだったりするのかも?? 哲学的な自由とは?だの何だの小難しいことは抜きにしてこの映画は心地よい 好き勝手に創られたようで実は計算しつくされてる感じ だからなのか遊ばれてる感もないし、置いてきぼり感もない 現代の仏アート系作品にも「普通って何よ」的なものがあるけれど大概はイキ過ぎ感が否めないものが多い 35年以上前に造られたこちらの方が遥かに洗練度が高い この作品を観て恋人が「どこが面白いの?」とたずねたら、 私は「あぁ、この人とはユーモアの価値観が違うんだな」と残念に思うでしょう

  • UBUROI

    5.0

    ブニュエルの禁じられた遊びその1

    ブニュエル的ギャグ満載の愉快な1作。ナポレオン軍の隊長が、銅像になった美人妻に接吻しようとすると、隣にいる夫の銅像がポカリとやる。なんだか、モリエール『ドン・ファン』の石像みたいだが、そこから急に現代に舞台変わって、すべり台で少女のスカートをのぞき込む変態男登場。なんだか、『ビリディアナ』のパロディみたいだが、あんなに殺伐とせずに話はすすみ、夫婦の寝室に鶏やらつぎつぎ現れるのは、『忘れられた人々』のパロディではないか。こんな風に、ブニュエルは晩年に至って自分の作品のレビューを行ったのだろう。『ブルジョワジー』でもわざとできの悪いホラー映画めいたつくりをやっていたが、ここでもビルの上層階から無差別射撃を行うライフル魔が軽いタッチで連続殺人をやってのけ、さらに裁判で有罪になりながらも普通に階段を降りて街に消え去ってしまう。全体的にあっさり感と脱力感で覆いながら、描く内容は常識に逆らった反逆的なものばかりという、やはりブニュエルでなければ叶わない貴重な作品だ。この先、何度も繰り返し鑑賞し玩味するべき傑作だろう。

  • ********

    5.0

    映画にとって「自由」

    1974年。ルイス・ブニュエル監督。「自由」のはずのフランス革命の余波で侵略を受けたスペインから始まり(ゴヤの有名な虐殺の絵)、それこそ自由に思いつくままにつながった「自由」のオムニバス的映画。ブニュエル監督が描くのだから、それが「自由バンザイ」であるはずがなく、ずらしや反転がふんだんに含まれています。冒頭、殺されるスペイン人らが「自由くそくらえ」というのは自由という名で覆われた侵略のことなのですから。 とはいっても「自由」の中身が思想的歴史的に問われているわけではない。問われているのは映画にとって「自由」とは何かという手法の問題です。スペインの話はそれが描かれた短編を読む女性によって現代とつながって猥褻と芸術のずれの話となり、そこからさらに医者を通して、愛をめぐるずれと倒錯の話になる。また居合わせた教授によって話は食と排泄の取り違えへと移っていき、、、というように、映画のなかのシークエンスがいかにも偶然に「自由」に動いていく。同じ空間を共有しさえすれば、それがどんなつながりだろうと次の話にもっていくこの「自由」な接続法。 ジャン=クロード・ブリアリだの、モニカ・ヴィッティだの、ミシェル・ピッコリだの豪華な出演陣が目白押しのひとつひとつの話も現実とのずれや反転という意味では「自由」なのかもしれないけれど、目の前にいる娘が行方不明だと騒いで捜索を求める親の話(今の娘とちょっと前にいなくなった娘の分裂)とか、二人で一人の警視総監の話とかほどではない。なぜなら、すれや反転は見えない正当なものを前提としていますが、同一性の揺らぎは揺らいだ結果が両方とも画面に見えているのですから。これこそ映画にとっての「自由」ではないでしょうか。

  • fbx********

    5.0

    偉大である異能

    ブニュエルはシュールか、と言う命題がある時、 私は即座にシュールではないと答えるだろう。 彼はシュールなどとは関係なく 本人に聞いてみれば、なぜ難しいと言われるのか分からないのではないか。 ごく普通の映画を撮りながら、 コミュニケーションを拒絶される希有な映画作家。 中でもこれが最大の訳のわからなさだと思う。 しかし、ブニュエルは涼しい顔で「簡単過ぎる映画だ」と言われそう。

  • dep********

    4.0

    ネタバレシュールすぎですww

    このレビューにはネタバレが含まれています。
1 ページ/1 ページ中