ここから本文です

阿片戦争 (1959)

林則除/LIN TSE-HSU

監督
チョン・チュンリー
ツェン・ファン
  • みたいムービー 1
  • みたログ 3

3.00 / 評価:1件

古典映画に見る中共の影

  • lamlam_pachanga さん
  • 2012年3月11日 2時28分
  • 閲覧数 265
  • 役立ち度 4
    • 総合評価
    • ★★★★★

先日レビューしたのは97年版の『阿片戦争(原題:鴉片戦争)』ですが、中国にはもうひとつ同じ題材を扱った映画があります。それが今回紹介する、59年版の『阿片戦争(原題:林則徐)』です。

本作は10年ほど前に日本でも限定公開されましたが、この映画を観たことのある方は多くないと思います。59年製作の中国映画ですから、共同監督の鄭君里(ヂョン・チュンリー)と岑范(ツェン・ファン)、或いは主演の趙丹(ヂャオ・ダン)の名を聞いてもピンと来ないのは仕方ありません。彼らは戦後の上海映画で一世を風靡した人たちで、鄭君里と趙丹は第二世代を代表する映画人であり、岑范は第三世代に属する監督です(81年の『阿Q正伝』が有名)。

言うまでもありませんが、本作の物語自体は、97年版のそれとほぼ同じです。

横行する鴉片(アヘン)の密輸は清朝の財政を圧迫。この事態を打開すべく、道光帝は、禁輸派の急先鋒として名高い湖広総督・林則徐(趙丹)を欽差大臣に任命し、広州へ派遣する。鴉片密輸で利益を得ている容認派の穆彰阿(夏天)と琦善(韓非)は英国人鴉片商のデント(ジェラルド・タンネバウム)に警戒を促すが、清朝の役人を侮る彼は耳を貸さない。広州に着いた林則徐は、両広総督・鄧廷楨(李鏞)と軍門提督・関天培(鄧楠)の協力を得て鴉片摘発に乗り出し、同時に英国側の駐華商務総監チャールズ・エリオットに鴉片禁輸を通告する。さらに、英国との開戦に備えて防備の強化を進めるのだが・・・。

この映画を観たほとんどの人は、物語はほぼ同じながらも、97年版とは全く違う印象を抱くことになるでしょう。その原因は、本作がほぼ一方的な清朝視点から描かれるためで、これは、そのまま97年版との大きな違いを生む要因ともなっています。

謝晋の97年版は、鴉片戦争を中立的立場から考察する側面を持ちます。安易な善悪二元論を避けるために英国が開戦した経緯(英国議会での採択場面)を描き、逆に清朝敗北の理由を独善的中華思想に求め、「敗戦は当然」とまで総括している映画です。一方の本作はあくまで林則徐の英雄譚としての性格が強く、そのため「清朝=被害者」、「英国=侵略者」との図式を強調しています。実際、歴史ドラマ(97年版)と英雄譚(本作)では映画の作劇手法が違うし、鴉片戦争の背景には英国を弁護する要素など何一つないのですが、第三者的な立場にある観客(この場合は日本人)が好感を抱くのがどちらなのかは、ここで改めて言う必要はないはずです。

林則徐の英雄譚としてこの映画を観た場合、現在の映画のようなスペクタクルやカタルシスを期待されても困りますが、特に目立った瑕疵はありません。国難に立ち向かう英雄が政敵に足をすくわれるストーリーは悲劇性を帯び、映画の目玉である戦闘シーンも(「59年当時にしては」と言う枕詞は必要ながら)なかなかの迫力で見せています。

しかし、個人的には評価する気にはなれません。

その一番の理由は、この映画には製作当時(59年)の中国国内の政情が臭うことです(この点は鄭君里や岑范に同情すべき余地でもある)。

もっとはっきり言うなら、この映画には中国共産党の影がチラついています。

特に気になったのは、本作のナレーションの主語が一貫して「中国」であったこと。当たり前ですが、鴉片戦争当時(1840~42年)、そんな国は存在していません(私もレビュー内で「清朝」と書いているはずです)。そして、鴉片戦争は清朝(本作では中国)が完全敗北するはずなのに、まるで中国(本来は清朝)が勝利したかのように描かれていること。そして個人的に一番気になったのが、本作の終盤に描かれる「民衆(人民)の力」です。清朝が禁じていたはずの民兵組織が立ち上がるあの場面は、私は、受け入れられません。

映画に脚色は付き物とは言え、この映画のそれ(意図)は完全なプロパガンダ(政治的宣伝)。

例えばこれは林則徐の英雄譚なのだから、歴史的には戦場に留まることを許されなかった(史実では開戦前に罷免された)彼が指揮を採るのは構わないでしょう。しかし、(政治的プロパガンダを理由に)歴史を書き換えるのは筋が通らない。タランティーノが『イングロリアス・バスターズ』で「映画の力(ヒトラーへの復讐)」を描いたのとはわけが違います(私論です)。

本作の場合、映画的な瑕疵が目立たぬ分だけ、この事実が際立つ。

昨年(11年)末に中国で公開された張芸謀(チャン・イーモウ)の『金陵十三釵』(南京事件の映画化)もそうですが、才能(観る者を感化する力)のある監督が撮るプロパガンダ映画には恐ろしさを感じます。何故なら、彼らには歴史を書き換える力がある、と言うことなのですから。

別にお薦めするわけではないですが、機会があるならこれも映画の側面として一見するのも悪くはないと、私はそう思います。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • スペクタクル
  • 勇敢
このレビューは役に立ちましたか?
利用規約に違反している投稿を見つけたら、次のボタンから報告できます。 違反報告
本文はここま>
でです このページの先頭へ