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ストーカー
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ストーカー

STALKER/СТАЛКЕР

163

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5.0

ネタバレ人間の現在と未来

ストーカー(密かに獲物を追う者)。 荒廃してしまった文明、よりどころを失った人々、そしてそんな時だからこそ大切な「信じること」――。 謎の「ゾーン」と呼ばれるエリア。隕石が衝突したとも、何かが起こったともいわれる不思議な地域。その最奥にある「部屋」に行けば、願いが叶うと言われる――。 政府はゾーンへの立ち入りを禁止している。しかし、極秘に「ストーカー」と呼ばれる者たちが、願いを叶えたい人々の案内者としてゾーンへ侵入する。 登場人物は、ストーカー(主人公)、作家、教授、そしてストーカーの妻と娘の5人。重要なのは前の三人で、それぞれ人生に深い絶望を抱き、かすかな希望を頼りに苦難の道を歩く姿が、これ以上ないほど鮮明に描かれる。 ゾーンは荒廃した文明か――? 雑草が生い茂り、天上には穴が空き、そこから水が浸入し、中は水浸し、泥と瓦礫でぐちゃぐちゃになった、もうなんとも言えないような不思議な空間である。 この苦労に愚痴を言い合いながらも、ストーカー、作家、教授の三人は奥へ奥へ進んでいく。そのあいだ、さまざまな人間の思想や論理、法則といったものが、絶望の口舌で議論されていく。それはどこか、祈りを求める前の、人間性に対する絶望を思わせる。人間性の限界。文明の限界だ。 「部屋」の前に到達しても、作家は入ろうとせず、教授は「部屋」を爆破しようとさえする。ストーカーは止めようとする。しかし逆に「部屋」の意義を問われる形になる。ストーカーは人間性を浮き彫りにし、彼さえも迷える一人の人間であることを話し出す。 それから場面は飛んで、一行は帰還したことになっている。それからまた以前と同じような生活を送っている様子が描かれるが、どこかさっぱりとした、光明が差したような空気がある。それがストーカーの妻の告白と、娘のラストシーンだ。はっきりとしたことは言えないが、全体として、快方に向かっているような気配を感じる。 この映画で語られているのは、タルコフスキーならではのテーマ。「人間性の解放と再興」だ。 文明というのは、作家が言うように、どこかがんじがらめにするところがある。みんな自分を食い物にしたいのだ、と作家は言うが、たぶんそれはみんなも感じていることなのだ。文明というものがある以上、一人だけ超越しているわけにはいかない。その「超越していたい」という主体意識と、それを裏切ってしまう現実の様態、それが作家の絶望であり、文明人の悩みなのだ。 では世界に価値はあるのか? 自分がそのことに奉仕することで、その問題を先送りにしようとしているのが教授だ。しかし、個人の仕事では限界があると作家は冷笑する。とどのつまり、ノーベル賞や金儲けといった欲望を無視することができず、それは「個人の問題」に還元されてしまい、世界を変えるどころではなくなってしまう。では、どうしたらよいのか? 教授は毒薬を持っている。それは一つの答えではある。 その二人に対して、ストーカーは迷える子羊を導く教父のようだ。しかし彼も人生には絶望しており、こうして人を導くほか生きる意義がないと思っている。しかし人間は追い求めることをやめず、迷ってばかりいる。どこに答えがあるのか彼も知らないのだ。しかし彼には「信じる」という心がある。願いをかかげ、人生に希望を抱き、前進することを良しとする心がかすかにある。そのストーカーの心から、一行は迷いの道を脱出したのではないだろうか? この映画は『鏡』や『ソラリス』といった前作品に比べ、暗く、荒廃していて、ひじょうに重苦しい印象を与えるので、「人間性の解放と再興」といったテーマにはなかなか結びつかないのかもしれない。しかしこれは、ストーカーの妻が語るように、幸福の裏面にある苦悩、その表現を徹底的におこなったものであり、実際は同一の主題の範囲である。 ただタルコフスキーは絵画的表現の心得があり、長回しもたいしてつらくは感じない。象徴表現、そして映画全編にまたがる、人間性の復活への信頼感、それはタルコフスキーの優しさと言ってもいい、その気配を感じるので、暗く悲しい気分になるというよりは、静かなお堂で、ナザレのイエスの苦難の生涯を聞いているような、敬虔な気持ちになってゆく。 この映画を評価するのは、難しいとは思う。しかし、知る人ぞ知る、わかる人にはわかる、美しいが人目を惹かない、最高の宝物のような映画である。この宝物を所有することこそ、人生の楽しみの一つといってもいいだろう。 オススメしにくい映画ではあるが、タルコフスキーに興味があるなら、悪くない一作である。

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