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スリ(掏摸) (1960)

PICKPOCKET

監督
ロベール・ブレッソン
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3.84 / 評価:62件

後のブレッソン流映画論を決定づけた作品

  • le_******** さん
  • 2020年2月19日 18時26分
  • 閲覧数 314
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    • 総合評価
    • ★★★★★

監督・脚本:ロベール・ブレッソン、製作:アニー・ドルフマン、撮影:レオンス=アンリ・ビュレル、編集:レイモン・ラミー、音楽:ジャン=バティスト・リュリ、主演:マルタン・ラサール、1959年、76分、フランス映画、白黒、原題:Pickpocket

邦題は、表記のように、括弧書きで<掏摸>と付けている。
出演者は、ほとんどが素人である。ブレッソンは、どの作品でも、故意に、専門の俳優を使わない。

後に『ラルジャン』(1983年)を撮るブレッソンの作品で、『抵抗 (レジスタンス) - 死刑囚の手記より』(1956年)の次に作られた。
ラストは、『ラルジャン』と似ている。

貧乏な学生ミシェル(マルタン・ラサール)は、競馬場で、女のすぐ後ろに立ち、札を掏った。すぐ捕まるが、証拠がないとして釈放される。
盗んだ金を届けようと、一人暮らしの母(マム・スカル)のアパートに来たが、母は病気で寝ているらしく、階下のジャンヌ(マリカ・グリーン)という女が、時折世話をしているらしかった。友人ジャック(ピエール・レーマリ)に仕事を依頼しながらも、電車の中で、他の男がスリに成功したのを見て、自分でもさらにスリの腕を磨こうと決める。・・・・・・

ミシェルが見込まれて、ある男と二人でスリを行ない、次にはさらに三人でスリを行なう。複数で行なうスリの手口は実にみごととしか言いようがない。スリの演技指導を行っているのは、劇中にスリの頭目として登場するカッサジという男である。自らの体験が、映画に活かされているというわけだ。

本作品は、スリのシーンが出てくるが、犯罪映画というより、ミシェルという若い男の心理ドラマである。台詞以外の部分では、ミシェルのモノローグが流れる。

全編通じ、なぜかミシェルにつきまとう刑事(ペルグリ)に、彼は、スリをすることの正当性やスリの美学のような話をする。ミシェル自身は貧乏学生であり、スリは犯罪であるものの、このスリ行為の延長線上に、ミシェルの<人生>=生命=生活があるのだ。
出かけるたびに、鍵などかけないような生活、狭いひとり暮らしのアパートなど、ミシェルの生活は、貧困そのものだ。それでも、外出し、スリをするときも、ネクタイにスーツ姿なのである。

スリのプロと出会い、ジャンヌと出会い、一度パリを去ってもまた、ジャンヌの下に戻ってくる。最期にミシェルは捕まり、拘置所に入れられる。そこにジャンヌがしばしば面会に来る。二人は鉄格子ごしに顔を寄せ合い、ラストとなる。そこに、ミシェルの独白が流れる。「君に会うために、どんなに回り道をしてきたことか。」

ジャックは、人も良く、そつのない男であったが、ジャンヌと、二人の間にできた子供を置いて、どこかに行ってしまっている。
ミラノでスリを続け、結果的に無一文になってパリに戻り、何気なく、亡くなった母の住んでいたアパートに寄ると、がらんどうになったへやに、赤ん坊がいた。ジャンヌが現われ、これはジャックとの子であると言う。

拘置所にいながら、面会に来たジャンヌに、彼女とその子ともども大事にするミシェルは言う。ミシェルとジャック、ジャックとジャンヌ、ジャンヌとミシェルの間柄は、詳細には語られない。ジャックがジャンヌに好意をもっていることも、ミシェルの台詞で出てくるくらいだ。ミシェルとジャンヌも、どう付き合って相思相愛になったかという経緯などは、全く触れていない。

ほとんどのシーンに音楽はなく、実際の音だけであり、余計なセリブ、余計なシーン、余計なカメラの動きなどは全くない。不条理なストーリーの上に、且つ、辻褄はセリフで規定していく。
登場人物に、笑顔のシーンが全くない。日常性から切り取られた映像のみで、ストーリーを畳みかけてくる。あえて素人ばかりを出演させるのも、プロの俳優固有の<演技の幅>など捨象したいからだろう。
このあたりが、ブレッソン流というのだろう。これらの方法論は、この先も彼の作品では常套となる。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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