牢獄としての結婚
- rqh***** さん
- 2010年11月13日 11時45分
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結婚をして何年かたち、相手に愛情が無くなってしまうことはしばしばあるが、それなら別れるというわけにはいかないのが世の常である。子供もいるし、仕事のあてもない。
ましてヒロインのように富裕層の場合、現在の生活を保証してくれる相手に会うのは難しい。
そうなると、まるで結婚は牢獄であろう。
愛もセックスもなく、子供の教育管理と、夫を中心にした体面を保つ日々しかないなら、鬱積したストレスを大声で叫んで晴らしたくなるというものだ。
夫は、あるいはメイドと親密になっているかもしれないのだから。
おりしも、町で殺人事件に遭遇する。女が殺され、男が逮捕される。
そして彼女は夫の会社で働いているという若い男に出会う。
彼女にはなにか新しい日々がひらけてきた気がする。
殺された女は、自分と同じ立場であったのではないかと。
離婚してくれと言われたのを、断ったために殺されたのだろうか?
だとしたら自分ならどうするだろう?
夫との愛もなく息子と散歩をするだけの日々、こんな町は出て行きたい・・・。
息子ならずとも、モデラートカンタービレ(単調な日常のまま時が過ぎる)はうんざりだ。
だが出会った男は深みに入ってこない。ここを離れるからもう会えないとまで言う。
いかに彼女が美貌で積極的に出ても、彼には背負うものが重すぎるのだ。
変化が始まると思ったのは幻影だった。
彼女の叫びは鬱積したものの発散というより、牢獄に戻ることの絶望だっただろう。
フランスでは結婚の登録申請するカップルがあまりにも少なくなったため、同棲をPACS(パックス)婚として法的に認めるというシステムが五年前あたりから広がっているそうだ。
J・モローは賞を取ったが、半世紀前からこの映画を見てきた国民に結婚を忌避させる一因になったかもしれない。
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