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御誂次郎吉格子 (1931)

監督
伊藤大輔
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4.11 / 評価:9件

「存在」しないことで味わえる映画的快楽

「存在」しないことで味わえる贅沢は「映画」だけに許された特権的な快楽だと思います 

例えば山中貞雄全作品23本が存在せずに「3本しか」観られないという不幸ではなく「3本も」観れる贅沢。

同時にこの世に存在しない「オーソンウェルズのマクベス」が1フィートも回されなかったことで「オーソンウェルズのオセロ」という犯罪映画(!)が観れる贅沢。

もっと言えば溝口健二の「狂恋の女師匠」を永遠に観る機会を奪われた我々に本来なら100分存在する筈なのに61分版「御誂治郎吉格子」と52分版「御誂次郎吉格子」」しか存在しない伊藤大輔作品を観るという特権が与えられたと気づくべきだと思うのです。

それくらいこの強制的短縮版は価値がございます。100分版では自身の身代わりに河に飛び込んだ「おせん」に思いを馳せ月を見ながら涙むせぶ次郎吉フェードアウトに「その後天保五年、次郎吉は捕われ、死罪となった」と字幕は伝えているそうですが無い方がよほど余韻があります。(100分版を観てから言えよ!と言われそうです)

次郎吉がお喜乃と別れるとき「腐れ切った生涯、只一度の綺麗な思い出があってもいゝぢゃないか」というセリフ。確実に伊藤を師と仰いだ加藤泰の映画史に残る世界的傑作「明治侠客伝 三代目襲名」の中で脈打っております。

それにしてもサイレントの何とアツいことか。小津安二郎のサイレントギャング映画「非常線の女」と並ぶ偉作(遺作ではない)でした

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