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田園交響楽

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2.0

お持ち帰される原節子。

戦後は今井正と並ぶ日本最強の左翼映画作家として多くのインディーズ作品に携わり、後年は「華麗なる一族」「不毛地帯」などの骨太大作ドラマに精力的に取り組んだ山本薩夫監督による戦前の東宝作品です。原作はアンドレ・ジッドの名作ですが、読んだのはもう2億年くらい昔なので内容はすっかり忘れてしまいました。 舞台は北海道です。小学校の校長高田稔は、ある家で盲目の少女を発見します。髪がボサボサでまともな言語もしゃべらないどころか、近づこうとすると奇声を発して暴れる少女をリーガンだと思い込んだ敬虔なキリスト教徒の高田は、慈愛の精神に則って彼女をお持ち帰りする事にします。 帰宅した高田は、出迎えた幼い娘に「おみやげにおまえの姉さんを持ってきたよ。」というほとんど異次元な呼びかけをするとそのまま家で養う事にします。 当然ですが奥さんはいい顔をしません。犬や猫じゃあるまいし、不幸だからという理由だけで女の子を家に持ち込むのはどう考えても非常識ですし、だいいち世話をするのは奥さんなのですから。しかし作者は明らかに高田の志が尊く奥さんが心の冷たい人間として描きます。奥さんだって「そんなものどこかに捨ててらっしゃい」とは言えないわけですから、はっきり言って高田の戦法はワルシャワのパルチザンを見殺しにしたソ連軍のように卑怯だと思います。 しかし、最初はトリュフォーの「野生の少年」女の子版であった少女は高田の愛情により、「逆エクソシスト現象」とも言うべき神の奇跡によって、原節子として美しく生まれ変わります。私だって原節子だとわかっていればお持ち帰りを厭わなかった事でしょう。 高田は目の見えない節子のために、色彩を音楽として認識させるという知人の適当な思いつきを真に受けて演奏会に連れて行ったりレコードを買ってやったりします。奥さんは「自分の娘よりも大切にしているじゃありませんか。」と文句たらたらです。至極もっともです。 節子は次第に高田に対して愛情を抱くようになります。高田も節子を父親のように愛そうとしますが、何せ敵は原節子という言わば「美の最終兵器」です。当然のように高田は節子の美しさに魅かれてゆき、奥さんはロサンゼルス級原潜に搭載された高性能ソナーのような女の勘でそれに気づきます。 そんな折、東京にいた高田の弟が帰郷します。弟は一発で節子の美しさの虜になり、彼女を抱いて川を渡るなど折にふれてゲリラ的なアプローチを行います。彼女を東京に連れていって目の手術を受けさせようという弟に高田は果たしてそれが彼女の幸福になるのかと反発し、挙句の果てに節子に手をだすなおまえは東京に帰れと命じます。要は高田のエゴイズムです。 弟は東京に帰りますが、スターリングラードを守り抜いたソ連軍のような奥さんの猛反撃に遭遇した高田は仕方なく節子を連れて東京に行き、目の手術を受けさせます。そして彼女を弟に託して北海道に戻ります。 節子の手術は成功し彼女は目が見えるようになりますが、愛する高田がいないので絶望しトンネルを掘って病院を脱走します。つい数日前まで盲目だった節子はどういう妖術を使ったのか、なんと単身北海道に戻ってきます。これは福井県の小学生が単身トリニダードトバコに行くような大冒険でしょう。しかし節子は冬の北海道に吹き荒れる吹雪の中、東部戦線から潰走するドイツ兵のように倒れてしまいました。高田と弟は必死で彼女を探します。雪に埋もれながら彼女の心に高田と弟の思い出がよみがえります。 そして間一髪、埋もれていた節子を衛生兵、ではなく弟が発見し彼女は命を取り留めます。はい、映画終わり。え?で、節子はこの後一体どうなるの?高田はどうするの?答えは続編「田園交響楽第二章~愛と悲しみのアダージェット」で、というのはウソで、本当にこれで終わりです。なんとも尻切れな結末ですが、おそらく節子は雪の中に神を見たのでしょう、という事で自分を納得させるしかありません。 そして、2015年11月、銀幕の女神は遂に映画の神のもとに召されたのであります。ああ。

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