目が不自由な人を被写体にするのは悪趣味
- 百兵映 さん
- 2015年11月22日 10時17分
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目が不自由な人々を被写体にするのはいい趣味ではない。なぜなら、映された当人がその画を見ることが出来ないからだ。注文のつけようがないからだ。写す方も見る方も一方的で、自らは安全な高みからの見物でしかないのだ。
退屈な少年が面白がって、目の不自由なオジサンの顔の前にイタズラをする……。こういうのは見たくないね。目の不自由な男たちが普通の歩行者を追い越して喜ぶ……。楽しいとは思わないね。目の不自由な通行人にぶつかる人間に喧嘩をふっかける……。痛快なことではないね。
戦前の、人権だ・差別だ・尊厳だという意識が十分でない時期の、決して悪気はない作品なのだが、「今日的には」宜しくない映写だ。清水宏監督の作品にはいいものが多いのだが、これは良くない。社会的生活上決定的に弱い、身体的機能障害を、ユーモアのネタに使ってはいけない。フツーの人間が僅かに持てる歪んだ優越感なのだ。
清水宏監督についての解説では、「按摩さん」が出る作品がもうひとつ(この作品の3年後に)、『簪』というのがあるそうだ。それも視てみたい。
(清水監督は決して視覚障害者を差別してはいない。むしろ応援者の立場にいる。しかし、結果としては、視覚の「障害」をみんなで楽しんでいるのではないか。)
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