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ソルジャーブルー

ソルジャーブルー

SOLDIER BLUE

112

sei********

3.0

ネタバレアメリカ先住民の視点で観ると・・。

 この映画のテーマは極めてストレートだ。これまで「アメリカ・インディアン」を野蛮な侵略者として扱い、紺の軍服のアメリカ騎兵隊を正義の味方という図式が西部劇の定番だった。それを派手に壊した映画がこの「ソルジャー・ブルー」だ。侵略者は実は騎兵隊のほうで先住民が被害者である、こんな当たり前のことを多くのアメリカ人は認識していなかった。それを騎兵隊が先住民の村を襲って手当たり次第に撃ちまくり若い女性はレイプして殺す描写は、騎兵隊の実像に近く白人が侵略者であること一目瞭然であり、当時は大反響の問題作として捉えられた。  公開当時はベトナム戦争のただなかで、世界中でアメリカを非難する反戦運動が活性化していた。中でも「ソンミの虐殺」(余談1)は世界中を驚愕し、当時のニクソン大統領は現在のブッシュ大統領よりも厳しい国際世論の批判に晒されていたものだ。この「ソルジャー・ブルー」の制作者たちも「ソンミの虐殺」に触発され、実際に西部開拓史上名高いサンドクリーク虐殺事件(余談2)を元に撮った。これ以降、「野蛮なインディアンVS正義の騎兵隊」の伝統的な西部劇は制作されにくくなったので、その功績は非常に大きい。(余談3)  ただ、私は納得できない。この映画は「インディアン側の視点で描かれた作品」と評価されているようだが、正確にはヤンキーの罪ほろぼし映画であって、決して先住民側の視点ではないという事だ。  まず気になったのはヒロインであるキャンディス=バーゲン氏の不自然さだ。感覚が当時の人間らしくなく極めて現代人的で、まるで21世紀の先進国の女子大生がアジアやアフリカを旅行して人種差別反対や環境保護を訴えるような感覚だ。あの時代の人間で、あそこまでシャイアン族側の立場を代弁できる「アメリカ人」は居なかったと思う。    もちろん、全くの史実通りに描けば「アメリカ人」は極悪非道の存在になってしまうので、善良な観客たちの視点として作中に「良心的なアメリカ人」を登場させなければ興行が成り立たないだろう。  観客たちが納得しやすいよう主役のヒューマニストには金髪美人のキャンディス=バーゲン氏(余談4)をあててシャイアン族の立場を代弁させ、観客たちが感情移入しやすいように準主役の若い兵卒はヒロインに感化されていき、野蛮で冷酷なのはインディアンではなく本当は白人のほうだったのだと目覚める展開は、作品作りの技術として正攻法だと認める。  しかしラストの場面で、その若い兵卒が微笑む場面に憤りを感じた。騎兵隊の蛮行に茫然となり少女の遺体を抱いて指揮官に抗議するまでは良いだろう。命令不服従で両手に縄をうたれて引っ立てられる時に、生き残ったヒロインに向かって微笑むのである。  なぜ微笑むのか? シャイアン族の男たちは全て闘って玉砕し、若い女性たちは輪姦のすえ殺され、残ったのは老婆と子供たち若干名の状態だ。しかも指揮官は彼女たちを罪人扱いにする。そんな酷い場面でなぜ微笑むことができるのか? 私には「僕だけは良い事したんだよ」と言いたげに見える。無数の虐殺遺体の前に虚しい場面だ。私が監督なら、主役たちには無表情で涙を流させる。  結局、制作者たちは最後の最後で支配者目線を捨てられなかった。この映画は断じて「インディアン側の視点」ではない。 (余談1)ベトナム戦争時、南ベトナムのソンミ村でカリー中尉率いる米軍歩兵部隊が急襲し武器を持たない民間人を虐殺した。アメリカ軍の非道を象徴する事件である。同様のエピソードは「プラトーン」でも描写されている。 (余談2)「ソルジャー・ブルー」は騎兵隊が紺の軍服を着ていたことから西部開拓時代のアメリカ軍を象徴する色である。引いてはアメリカ軍やアメリカをも象徴する。  サンドクリーク虐殺事件は、和平のためコロラド州サンドクリークに入った先住民たちを騎兵隊が騙まし討ちにした卑劣非道な暴挙である。騒乱の直接原因も、先住民から土地を奪い、狭い荒地をインディアン保護地として押し込めようとしたアメリカの政策にある。  同様のエピソードはリチャード=チェンバレン氏出演のTVドラマ「遥かなる西部」でも描写されている。 (余談3)先住民の言語が英語字幕付きの台詞で登場。キャンディス=バーゲン氏もシャイアン族の服装で先住民の言語で話す場面がある。  シャイアン族に扮している俳優やエキストラは、先住民系やアジア系の人を使っている。従来のような白人が黒髪カツラを被ることはあまりしていない。 (余談4)彼女は有能な写真家でもある。もともと、単なる可愛らしいヒロインの枠に収まらないキャラクターなので、この作品で意志の強い女性を演じるのはうってつけだ。

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