1944年、終戦の前の年のスポ根映画
- 百兵映 さん
- 2014年5月17日 12時12分
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最初に「作製社會式株映大」という左右逆方向の字幕が出て、次の『土俵祭』のタイトルは現代表示。櫓太鼓を背景に「明治初年」(縦書き)、続いて鹿鳴館の舞踏を背景に同じく縦書きの字幕が続く。
「櫓太鼓は/市民の/安眠妨害だ」
「相撲の如き/𦾔時代の遺物に/觀客が蝟集まるのは/遺憾至極」
「相撲全廢の火の手/鹿鳴館よりあがる」
冒頭の、「明治初年」というのは正確ではない。鹿鳴館が完成したのは明治16年、借り物の迎賓館らしきものも明治3年に開いたというので、いずれにしても「明治初年」は間違い。ということは、「相撲全廢の火の手/鹿鳴館よりあがる」というのも怪しい。
これは1944年の作品。終戦の前の年だ。戦況著しく困難な時期、若者は外地出征、学生までもが学徒動員、子どもは学童疎開、女性も勤労動員、ひどい貧困と食糧不足。こういう絶体絶命の時、誰がこの映画を観たのだろうかと、先ずそのことに関心が行く。
その一年前には黒澤明の初監督作品『姿三四郎』が製作されている。これも、どういう人たちが観たのだろう。
この時期、映画にも検閲があった。『土俵…』も『姿…』も、戦意高揚のアジテーションも見えないが、鹿鳴館を引き合いに出すなど、西欧舞踏から日本の格闘技への回帰をねらったものだろうか。
それにしても、片岡千恵蔵という舞台役者が舞台のメーキャップで土俵に上がるというのは、映画の新時代には「𦾔時代の遺物」に見える。解説をみると、本作の脚色は黒澤氏だったようで、彼にとっては、柔道・相撲の連作だったということか。そうか、戦時体制下の困難な状況の中で、いろいろ試しながら頑張っていたわけだ。習作なのだ。
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