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わが恋せし乙女 (1946)

監督
木下恵介
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3.80 / 評価:5件

送り出す女ー迎え入れる女、解放される女。

  • 百兵映 さん
  • 2015年2月16日 13時53分
  • 閲覧数 436
  • 役立ち度 1
    • 総合評価
    • ★★★★★

 例によって女々しい純愛物語。格段の印象もない。それでレビューも書かずに、一年以上放っておいた。それが、勘違いであることに気づいたのは、黒澤監督の『一番美しく』を観てからだ。

 「男性映画の黒澤、女性映画の木下」のはず、と思っていたのが、黒澤の『一番…』は最初から最後まで女たちを描いているのだ。国威発揚のプロパガンダに女を対象(題材)にして。「男性映画の…、女性映画の…」という世評は違う。

 この両者に共通するのは検閲対応。戦前は情報局の検閲を受け、戦後はまるで逆方向のGHQの検閲を受け、思うように映画製作を許されなかったことだ。検閲に対してどう対応するかという苦労。戦前は国策映画を作らねばならない。戦後とても占領軍の顔色を窺わねばならない。そういう中でぎりぎりの表現の自由を主張する。

 確かに「女性映画の木下」ではあるが、それをいうなら、“男を(戦地に)送り、(戦地から)迎える女”というのが正しい。『陸軍』然り、『カルメン…』然り、『二十四…』然り、そして本作もまたそのものズバリ。

 本作では、美子に送らせ、迎えさせた。ラブストーリーにしてあるのだが、送り - 迎えの間に“自由”という一大変化があった。この “変化” こそがテーマではないか。

 『カルメン…』でもそうであるように、木下は “変化” “自由” を浅間山麓に展開する。彼が求めていた “自由” は、かつては不自由であった田舎の大自然に展開させたかったのではないか。更に、不自由を強いられていた女、それも捨て子。これ以上にない不自由な女に自由に生きさせる。これは自由というより解放だ。

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