女の自立は権利か義務か
- 百兵映 さん
- 2014年11月4日 14時57分
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敗戦によって新しい社会に転換する。女性の価値観・人生観もそうだ。我慢・従属を強いられていた女性が自立と自律の権利に目覚める。それが、机上の論理ではなくて娑婆に生きる生身の女に自覚させる。この場合、女の自立は女にとっての権利というより、女に課せられた義務であるように見えた。
小田原の駅名が「をだわら」と表記されるのだから、これは終戦直後のことだということが分かる。帰還兵の中にこういう荒くれも多かったことだろう。「戦争のせいでグレた」という意味の弁解も聞かれるが、だからといってこれが反戦の映画とはなっていない。あくまで、こういうあくどい男との関係の中から自立する『女』がテーマなのだ。
木下監督の後の『お嬢さん乾杯!』や『女の園』にも共通して、それぞれの境遇でのそれぞれの生身の『女』に、自立を求めている。『…乾杯』や『…園』の女たちとは環境が違うのだが、しかし圧倒的多数の庶民の中の女の自立のプロセスだ。
木下監督の社会観・人生観・女性観というのが分かる作品だが、そういうテーマ性から離れても、味わいのある映画だ。たった二人だけで構成されるストーリーなのに退屈しない。大きな起伏もない平坦なストーリーなのに退屈しない。それは、互いの心中を探り合う心理描写の巧みさによるのだろう。大した演技であり演出だ。
火事場の緊迫感にも圧倒される。ひょっとしたら、火事場の混乱と戦場の悲惨さを重ねているのかもしれない。今でこそ一歩引いて見られるのだが、公開当時(戦後4年目の1949年)であれば、被占領下にあって、何もかもが大混乱であったのだ。それは私の幼少の頃で直接の記憶には残っていないが、映し出される映像には、人の表情にも鉄道にも風景にも、思い当たることが多々ある。
うちでは、母は自立することもないまま老いて他界した。娘たちは自立が当然のように生きている。時代が変わるのには数十年かかるのだ。
(木下監督を描いた『はじまりのみち』を観て、改めて何か彼の作品を観たいと思って本作DVDをレンタルしたのだった。)
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