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王将 (1948)

監督
伊藤大輔
  • みたいムービー 4
  • みたログ 90

3.93 / 評価:28件

盤上の駒を全て活かすのは名人監督の腕の冴

 冒頭、子供を連れて歩く妻・小春(水戸光子)。市電が映るカットに続き、思い詰めた表情の小春にカメラがトラックアップ(寄る)する。この唐突な出だしには意表を突かれたが、このシーンが、後の心中騒ぎへの映像上の伏線となっていた。このただならぬ緊迫感を他所に、大会の会場入りをする三吉(阪東妻三郎)の身の軽さ…。この二人の映像的、或いは演出上の対比が、夫婦間の溝として描かれる。後に、この溝を埋め、夫婦間の精神的な救済の役割を果たすのは、王将の駒=南無妙法蓮華経…。ある種、宗教賛歌の側面も色濃い。経済的な貧困は政治に頼らざるを得ない一方で、精神的な貧困はやはり仏様のお力におすがりするしかなかったという…時代かなぁ…。精神面での救いを失った現代、あながちシニカルな態度ではあしらえない問題を孕んでいた。
 それはそうと、三吉の登場の仕方には伊藤監督の“粋”を感じる。名前で埋まった参加者名簿が一枚ずつ捲られると、白紙のページに墨で書かれる7本の横棒。1本ずつ声に出して数えながら…。次に3本縦棒を加えて“三吉”。その字を読んだ主催者が驚いて恐縮する。そこで三吉のカット!三吉は我関せずと、ひょこひょこ会場の中へと入って行く…。これだけで充分に、三吉の人間像と周囲との関係が浮かび上がってくる。お見事!
 とにかく、全編に亘る綾の織り成し方が入念だった。例えば、夫婦間の擦れ違い…。妻の着物を質草に入れて臨んだ大会でありながら、行方不明の妻を捜しに途中欠場となってしまったり…。サンドイッチマン(?)の日雇いの途中に自分の着物を発見する小春の場面や、その前の仏壇を質草に入れてしまった時の伏線が効いている。更に、死を踏み止まった小春が、夫の将棋を応援しようと仏様に誓った一方で、三吉は家族の為に将棋を諦める事を仏様に誓ってしまう。この擦れ違い!これを解消してくれたのが、引き戸に引っ掛かった王将の駒。今さっき燃やした筈の将棋の駒が、たった一つだけ零れ落ちていた。仏様のご慈悲。この駒が、この後、更に効き捲っていく!最後の王将には泣けた…。
 名人位襲名披露式という祝の席での「南無妙法蓮華経…」も傑作だが、やはり王将の駒とは一対に描かれている。宗教を背景にモラルを描いている点に、キリスト教文化圏の映画からの影響を窺わせるが、果たしてどこまで本気で南無妙法蓮華経だったのか…。
 まだまだ語り尽くせない! 例えば、8年間の修練の日々…。小春の太鼓から始まる宿敵関根との対戦の遍歴がダイジェストで描かれる。あのスピード感!

 カメラの動かし方は素晴らしく巧みで、空間の状況を説明する奥行きのある構図から、スーッと人物を中心に据えた構図へと移行する。または、その逆の動きだったり…。その間の画面に、一瞬たりとも緩みも作らせない。一流です。昨今の、何の意図も感じられない移動撮影や、判然としないカメラポジション、広角レンズの多用で無意味に画面を歪めてしまっている状況には、うんざりさせられるばかりだが、こういう映画(撮影:石本秀雄)からカメラを学んで欲しいと切に願う…。

詳細評価

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