ここから本文です

武蔵野夫人 (1951)

監督
溝口健二
  • みたいムービー 12
  • みたログ 56

3.76 / 評価:33件

武蔵野には今もこういうご夫人が?

  • 百兵映 さん
  • 2014年4月13日 15時10分
  • 閲覧数 775
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

 オープニングの音楽の中に、クラシック・ファンだったら誰でも気づく“田園交響楽”の一節(を思わせるフレーズ)が出る。ハハン、『武蔵野』の田園風情を暗示したのか、と思った。だが、それほど美しい『武蔵野』ではなかった。

 その昔(東京オリンピック開催の年)、田舎から上京して「東京都武蔵野市」という所に住んだことがある。美しく整備された都市であって、武蔵『野』を感じさせるものはなかった。もっとも、下宿から電車駅まで以外に動くこともなく(だから本当のことは知らないまま)、わずか一年で帰郷してしまった。「都会」では仕事をすることも住むことも出来なかった。

 映画の武蔵野は美しかった。昔は(あるいは、もっと歩き回っていたら)こうだったのかと納得した。そこの人々は『夫人』も含めてあまり感心できなかった。昔ながらのシキタリがあり、戦後の新しい風潮が入り、新旧が交錯する時代。『夫人』には「誓い」が最優先し、他の人々は「愛」といい、「儲け」といい、それぞれの行動規範が噛み合わない。そういう時代だったのだろうから、今の我々がとやかくいうこともない。

 ただ、今となっても昔からひとつも変わっていないと感心したのが、資産家親族内での争い事だ。A家とB家のどちらからも不義があり、「誓い」だ「愛」だといい、結局は裏切り合う。融通だ同意だ抵当だといい、結局は破談となり、犠牲者が出る。愛は実らない。

 いいのだ、これで。こちらには資産もない、不義の相手もない。あるのは昔から今も変わらない田園風景と年寄りだけ。不自由なシキタリもあるのはあるが、それを言い張る年寄りもほとんど居なくなった。理不尽な「誓い」を求められることもない。

 この俳優さんは好きなご夫人だが、この『武蔵野』夫人はどうも感心しない。というより、関心がない。少々齢がいってるけど、こちらの田舎のご夫人たちがはるかにいい。ん? そう、うちのご夫人(はは、奥方のことだ)に勝る夫人はいない。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 未登録
このレビューは役に立ちましたか?
利用規約に違反している投稿を見つけたら、次のボタンから報告できます。 違反報告
本文はここま>
でです このページの先頭へ