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噂の女 (1954)

監督
溝口健二
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4.00 / 評価:19件

溝口監督の迷いが感じられる作品

  • Kurosawapapa さん
  • 2011年6月16日 9時02分
  • 閲覧数 889
  • 役立ち度 12
    • 総合評価
    • ★★★★★

本作は、島原の太夫たちを現代の世相に置き、厳しい世界に対峙する女性たちを描いた作品です。

溝口作品「祇園の姉妹」「祇園囃子」に続くもので、この世界は溝口監督が熟知するところ。

島原の遊郭の裏舞台を赤裸裸に描き、太夫たちの心境も繊細に綴っています。



京都、島原の娼家の女将・初子(田中絹代)は、この遊郭を女手1つで仕切っています。
ひとり娘の雪子(久我美子)は、東京の音楽学校へ通っていたのですが、自殺未遂を起こし、実家であるこの娼家に戻ってきました。
雪子は、母親の仕事を軽蔑、恥じており、それが自殺の原因でもありました。
傷心の雪子は、母から若い医師・的場(大谷友右衛門)を紹介されるのですが、この的場は、実は母、初子の愛人。
軽薄な医師は、今度は雪子に心を惹かれ、三角関係となってしまいます。



田中絹代の演技は、いつ見ても素晴らしいものがあります。
女将としての表の顔と、女としての裏の顔を演じ分け、愛人の裏切りを知って嫉妬するあたりも、実に巧みです。
眼鏡姿も初めて見ましたが、よく似合います。

また、娘役の久我美子は、ヘプバーンを彷彿させる美しさ。
貞淑、清楚な雰囲気に溢れています。




本作では、売春を容認する、容認しない、
2つの立場が描かれています。

かつて、「折鶴お千」「浪華悲歌」「祇園の姉妹」「夜の女たち」などで、
あれほど、貧しい女性の人権擁護のために闘争的な映画を作ってきた溝口監督が、
売春問題に対し、悠長な作風となっているのは、不思議でなりません。


== 溝口作品を紐解くキーワードその16 「溝口監督の内なる矛盾」 ==

溝口監督は、若き頃から花柳界に精通、青年時代も多くの娼婦たちと接しました。
それゆえ、多くの淪落の女たちを垣間見てきたのです。

しかし、売春を大いに享楽したのも事実でした。
女性問題、スキャンダルは、以前にも述べた通り。
本作にも、男として売春を容認するか、しないかの、迷いが感じられます。


また、映画制作においても、
スタッフや女優を大切にする一方で、仕事となると常識では考えられないほど酷であったという、溝口監督の抑えきれない噴出がありました。

芸術家ゆえの爆発と、思い切りストイックな部分。

溝口監督の中には “欲望” と “抑制” が、常に共存していたような気がします。

そして、監督の中にあったであろう、欲望への “自己嫌悪” 。

それゆえ溝口映画には、 “女の献身 と 男の贖罪” という永遠のテーマが存在した、、、
そんな気がするのです。

==========



本作の、軽薄でどうしようもない男の登場は、やはり溝口流です。

そんな男に対し、女性の意地を見せるのが溝口映画のはずですが、
男からひどい仕打ちをされても、女がどこまでも泣きつこうとするのは、溝口作品の中では異色で、
また、お金まで渡してしまうのは、多大なる違和感を感じます。

本作には、溝口監督の迷いを感じずにはいられません。


また、雪子(久我美子)は、こんな売春社会はあってはいけないと、抵抗を試みますが、最後は敗北した形。
結局、島原太夫の世界を、認めるものとなっています。


脚本家の依田義賢氏によると、溝口監督は本作の制作に、気乗り薄だったそうです。
この年は、3本の映画を作っており、そんな時もあったのでしょう、、、

・「祇園の姉妹」で描いたのは、男に対する “女性の意地” 
・「祇園囃子」で描かれたのは、優しさや情けに満ちた “女性らしさ” 
(両作とも☆5つ)

しかし本作には、溝口監督の内なる迷いが感じられ、
練達した映像技術には感服しますが、モチーフとしては退化したような印象を受けたのです。
(MIZOGUCHI:No16/20 )

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