ここに泉あり
本編配信
スマートフォンご利用の方はアプリから視聴できます。
予告編・動画
作品レビュー(8件)
- とみいじょん
3.0点
山田耕筰氏だぁ!!! (&ポニョ?:余談) 音楽の授業で習った偉人が、フィルムの中で動いている!!! それだけで、テンション上がってしまった。(うん、私、ミーハー(*’▽’)ゞ) 山田氏自身が、日本に常設のオーケストラを作るべく、奔走していたからか? 草の根運動。実話ベース。 人々に生の感動を届けたい!という思いと、地方都市に常設オーケストラをと奮闘したマネージャーや楽団員達の葛藤を描く。 終戦直後から始まる話。 だが、音楽と生活の両立、プロとアマ、地方に”埋もれる”という焦りと”中央”への憧れ、仲間との分断(新陳代謝)等、今のバンドや劇団に置き換えても通じる話。 ましてや、生の感動に触れ難い今だからこそ、映画の中での彼らの奮闘を応援したくなってしまう。 生活を立て直すのが最優先事項だった戦後直後。 令和の世、”不要不急”ではないと位置づけられてしまった芸術・芸能活動。 それでも、そうではないと奮闘する人々がいて、その思いに反応・応援する人々。 思いは、いつの世も同じ。 戦後の闇市があるような頃。とはいえ、高崎は焼け野原ではなく、それなりに、パーマ屋(美容院)等、戦前から戦後と、生活基盤は続いていたらしい。 資金稼ぎが主たる目的かつ情操教育を広めようと、出張演奏を繰り返す楽団。その成果もあって?後半、速水が指導する教室に、ヴァイオリンを習いに来る児童~少年・少女が何人も出てくる。 半面、 「彼らは、もう一生オーケストラを聞くことはないでしょう。炭を焼いて、一生を終えると先生が言っていた」そんな台詞が出てくる。映画公開時は、当然、出張演奏を続ける意義を確信する感動場面の一つだったはず。 そこから、現代を見据えれば、なんと時代が変わったのだろう。 確かに、陸の孤島と言われる地域はまだある。それでも、その気になれば、生の感動に触れに来ることは可能だ。あの頃高価だった車も、今は地域によっては一人一台。また、”推し”の為なら全国をまたにかけるおっかけも多数存在し、問題視されたり、おっかけの落とすお金を期待したりの時代になった。 職業は、どこに生まれるかで決まるのではなく、建前的には何にでもなれる時代になった。尤も、貧困問題他で、建前通りにいかないが。でも、それは山間だけの話ではなく、”中央”でも、どこでも起こること。 かえって、炭焼きは需要が少なくなり、かつ海外からの品に押されて廃業する人が多く、職業変更を余儀なくされる(『半世界』参考)。 社会の授業で習った戦後の歴史を実感として突き付けられたようだった。 映画の筋は感動的。 はじめはうまくいかなかった出張演奏だが、要所要所で、”生”の力を見せてくれる。 DVDの解説書によると、ハンセン病患者会から「実態と違って誤解を生む描写」とカットを要求されたが、直さなかったとか、そういう監督が”作った”シーンもあるが…。(「未来永劫~」の台詞は確かに実態と違う。他にはどこを指摘されたのだろう?) とはいえ、音楽に聞き入る人々の姿は美しい。 だが、編集が悪い。 実際のオーケストラ等を使っているから切れなかったのか、聞かせたかったのか、間延びしてしまうところがある。 そして、最初の素人楽団での演奏と、玄人が集まって、人々を感動させるシーンの演奏の差がわからず。なので、最初の小学生たちと、終盤の小学生の態度の差の理由が今一つピンとこない。最初の学校でも、あのような演出すればよかったじゃないかと思ってしまう。これは私の耳の問題なのだろう。わかる方には違いが判るのであろう。 そしてラストが唐突すぎて、感動としらけ感とを行き来してしまう。実話ベースなのだから仕方がないのだが。 なので、感動話でさわやかなのだが、すっきりしない。 そんな中でも、役者がすごい。 MVPは東野氏。この映画だけだと際立っていない。でも、黄門様とも違う。『用心棒』・『赤ひげ』・『太陽の王子ホルスの大冒険』(声)等々、すべてにおいて違う人物になりきっている。しかも演技臭くなく、自然。七変化。 小林氏演じる亀さん。奥さんに対してひどすぎるのでは、甘えすぎなのではという場面もあり、決して好人物として描かれているわけではないのだが、小林氏が演じると、つい、与太話に乗ってしまいそうになる。 大滝氏も出演されているらしいが、私はどこにいらっしゃるのかわからなかった。映画初出演とか 草笛さんもわからず。演じられた役の名は出てくるが、どこに出演? そして、ノンクレジットで、原久子さんや奈良岡朋子さん…。他にもどこかで見たような…。 古い映画はそんなところも楽しい。 《蛇足》 子どもたちのヴァイオリン合奏が、一瞬『崖の上のポニョ』に聞こえてびっくりした。私の耳はその程度です(笑)。 (台詞はすべて思い出し引用)
- kt3********
4.0点
かって 日本には、ヒュ-マニズムに溢れた、あるいは、目指した時代があった。それは、高度成長の始まる前であり、現実生活は、厳しいが 弱者が方を寄せ合って生きていこうとした社会だ。もちろん どんな時代でも 狡猾な人間もいるし ひねくれ者もいる。 もう 解散 というオ-ケストラの存続を決めたのは、山間部の子供たちに演奏した後の感想だ。(この子供たちはもう一生音楽を聴く機会はない。炭焼きや木こりになるんだ)。そう思った主人公たちは、歯を食いしばってオ-ケストラを続ける。そこにあるのは そんな子供のために という信念だろう。 それを、ヒュ-マニズムというのかもしれない。また そんな 気持ちを善 とする価値感。 でも それって 上から目線。炭焼きや木こりに対する優越感。ピアニストにも上手い 下手があるのと同様に 上手い炭焼きと下手な炭焼きがいるだけだと思う。 善良な人間だけの社会は理想だけど息苦しい。ヒュ-マニズムはありがたいけど 人間のだらしなさ 悪い点に寛容な社会のほうが暮らしやすい。 なんて事を見ながら 少し 思った。 でも 良い映画です。戦後すぐの 貧しい社会もよく書けてます。 岸恵子は、本当に ピアノ弾いてるんでしょうか?うまいですね。 個人的に こんな映画は好きなんだけど 現代では うけないだろう。残念。
- bakeneko
5.0点
ネタバレオーソドックスな指揮方法だなあ~
このレビューにはネタバレが含まれています。 - kih********
5.0点
何しろ古い。全編に雨が降る。本当の雨かと思うくらい。音楽映画なのに音が悪い。昔のSP盤を思い出す。それなのに、これほどに感動を呼ぶ。“古典”の至宝といえようか。 実在の大物音楽家が登場するのだから、それだけでも見る価値がある。しかし、主役は大物氏ではない。楽団員だ。必ずしも上々の力量とはいえないのだが、感動を呼ぶ。音楽性なり楽団設立の意義なり、他のレビューアーの皆さんと同じ感想だ。異論はない。 本筋とは関係のないことだが、―― (以下:高校時代の級友に宛てたメール) …… 『ここに泉あり』という音楽ジャンルの邦画を観ました。この映画の終わりの方に、アッと驚く場面があります。我々が高校時代の3年間を過ごした寮と同じ建物が映るのです。およそ2分間。もう、それが懐かしくて、ここを何回も繰り返して観ました。 そのDVDの解説によると、これは旧兵舎の後利用で、引き揚げ者の住宅に使っていたものだそうです。そうでしょう。我々の寮も旧兵舎の後利用でした。こういうのは全国各地にあったことが分かります。おそらく、皆同じ構造だったのでしょう。 こういうのを見るにつけ、我々が育ったのは“戦後”の時代だったことが改めて実感されます。 もうひとつ、この映画で自分の“当時”を思い起こさせる場面があります。群馬交響楽団(の前進)が田舎回りをする際、最後の演奏地として訪問した最山奥の小学校の子どもたちです。クラシック音楽を生で聴く子どもたちの表情です。この中に自分が居るような気分になりました。私もきっとこういう顔をしていたんですよね。かなり年齢が重なってきましたが、時に、こういう具合に口を開けて眼が一転に座って、憧れたり驚いたりできるクリクリ坊主の少年のようでありたい、などと思いました。 もうすでに観ているかと思いますが、ちょっと衝撃的だったので、同級の“寮”友にメールした次第です。……
- san********
5.0点
加藤大介が塚地にみえて笑えた リメイク、みたいような、みたくないような 御婆さん女優の若い頃、これを見られるのがたまりません 山田耕作の眼力に、もう、釘付け 若い才能を助け育てる大人になりたいもんだわい 映画、一流の演奏、二度美味しい作品です 全国民に見てもらいたい
スタッフ・キャスト
人名を選択するとYahoo!検索に移動します。