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処刑の部屋 (1956)

監督
市川崑
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3.17 / 評価:18件

内容がひどい

  • bar***** さん
  • 2017年10月29日 13時30分
  • 閲覧数 343
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

処刑の部屋。石原慎太郎原作の短編小説を市川崑が映画化した。

市川崑監督作だからか、やはり見応えがあるものの、語られていることは不完全なニヒリズム、不完全な我流の実存主義に過ぎず、今見たら恥ずかしくなって赤面しかねない内容である。
原作の石原慎太郎氏も、きっとそう思っているんじゃなかろうか。三島由紀夫の論評も読んだが、これも澁澤龍彦のサド信奉のように、不完全な西洋哲学の理解における、逸脱したカオティックな世界を正当化しようとする、不良ロマンの叙情詩とでも言えるような、なんとも無法で勝手な考えに過ぎず、まことに馬鹿馬鹿しい限りである。

彼らの言っていることは一部分認められるだけで、彼らが主義としている思想家や哲学者は、そこから発展して普遍的な理論を構築しようと頑張っている、何度も考察し、何度も進化している。このような大衆が話す西洋思想は、凝り固まった化石のようなものだ……。

しかし、当時の社会を考えると、どうしようもなかったのではないか、とも思う。
我が国日本は急速に発展したおかげで、思想レベルや教養レベルがなかなかついてこなかったのではないか、どこか色濃く残る農民的思想が、私にそう感じさせる(もちろん私の意見も不完全ではあると思う)……。
また当時日本は戦争に負け、鬱屈した力が、やり場もなくうろうろさまよっていた時代ではなかっただろうか。そこから企業戦士とも呼べるような人間が誕生したが、そのあいだで「倫理観」と言えるような心をどこかに置いてきてしまったのではないだろうか。

今でこそ娯楽も増え、また多様性も認められるようになり、正常な人間性が再び賞賛されるようになってきた。われわれは今とてもよく「考えている」。だからこそかつての奔放さがなくなったと言われたり、軟弱になったと言われたりもするのだが、われわれの成長がここで終わるわけがなく、また新たに発展していくものだと考えている。

この作品はまるで化石のようである。語られていることは決してもう通用することではない、一時代の「流行」のようなものだった。それをもてはやした社会があった、今は別のことをもてはやしている。未来の社会が今のわれわれを見て笑うかもしれない。だからこそ、不朽なもの、真の精神とはどんなものか、真の文学、真の芸術、真の映画とは何なのか、求めることに意義はあるのだと思う。

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