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洲崎パラダイス 赤信号 (1956)

監督
川島雄三
  • みたいムービー 20
  • みたログ 151

4.13 / 評価:70件

そして振り出しに戻る

  • yam***** さん
  • 2020年5月14日 13時39分
  • 閲覧数 728
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

「どうせ俺なんて…」が口癖の僕ちゃん
顔もガタイもよく健康そうなのにタバコをふかす以外に能がない
いつもイジイジ、煮え切らない
でも、そんな甲斐性なしのダメ男を、なぜか女たちは放っておかないw

元玄人女性の蔦枝と僕ちゃんの若い二人は金無し、ツテなし、希望なしの3なし状態
今晩の落ち着き先のアテさえもない
飛び乗ったバスをふらりと降りるように、なんとなく洲崎へ戻ってきてしまう
そんな何もない蔦枝でも中に戻るのはギリギリ踏みとどまる
それは僕ちゃんがいるから…
たまたま女中募集の張り紙を見て、門前酒場へ転がり込む
計画性も何もなしw
吹けば飛ぶような、軽い存在の二人…

蔦枝は酒場で働きながら、ちゃっかりと金回りのいい旦那を見つけ、囲われる
蔦枝に逃げられた僕ちゃんは、必死になって蔦枝の居場所を探し回る
口では「俺なんて放っておいて好きなところ行けよ…」なーんて言って、ホントにいなくなったら必死で追いまわるかわいい僕ちゃんw
仕事はろくにしないくせに、表面上はツレナイそぶりのくせに、いざとなると必死になる僕ちゃんw
そんな哀れな僕ちゃんのことをまるでお母さんみたいにあれこれ世話を焼く、若く可愛いカタギの女性玉子
ライバルが出現すると女って、捨てたはずの男も惜しくなるんだよなーw
生活能力のないダメ男がなぜか女にもてる、男にとっての夢物語w

・金回りのいいラジオ店の旦那
・誠実を絵に書いたような若いダンプ運転手の貢ぐ君
・世話焼きの若く可愛い蕎麦屋の玉子
みんな相手に逃げられるw
男女の間は理屈じゃない

一旦愛想を尽かしたはずの蔦枝は、なぜか僕ちゃんの元へ戻ってくる
僕ちゃんの蔦枝に対する執着、蔦枝の僕ちゃんに対する執着は、言葉では説明できないし頭でも理解できない
理解はできないが納得はできる
この男女間の執着を、別の言葉では愛と呼ぶのかも

行き過ぎた執着が、一つの惨劇をもたらす
それをきっかけに、お互いの執着心に気づき、それを確認し合った二人は、また街を出て流れていく
冒頭と全く同じシーンに戻って映画は幕を下ろす
振り出しに戻っただけで、何の成長も変化も描かれない
変わったのは女の着物の柄と機嫌だけw

でも、それがいい
面白くないのかと聞かれれば、面白い
成長のなさや愚かさを描く監督の視線は独特で、どこか温かく肯定的だ
観ている俺も、心地いい

談志的に言うと、「業の肯定」ということになるのかな
エラい映画評論家はラジオで「映画は人の成長を描き、観る人も一緒に成長する」とエラそうに言っていたが、本作には当てはまらないなw
あと、川に投げ捨てられたゴミなんて、小津安二郎なら絶対に映さないだろう

川島雄三は本作のことを大変気に入っていたという

大人になって随分遠くまで来たような気になってたけど、気がついたらほとんど進んでいなかった
そんな気分を味わったことのある人なら、この映画を愉しめると思う
成長や進歩や効率化や改善や、そんな言葉を信奉する人から見たらつまらない映画だろう

酒場のおかみさんも街の人たちの様子も、まだ「人情」という言葉がしっくり来る
弁天様への願掛けシーンや、死体に掛けられたムシロを見ると、昭和31年はまだ江戸とつながっていたようにも思える
劇中でも酒場の女将の口からちらっとその話題が出てくるが、本作が公開されたS31には「売春防止法」が成立し、その後洲崎を含む赤線が廃止された
それから60数年、現在の男女関係の有様を川島雄三が見たら、なんと言うだろうか
「お前ら、お子様かよっ?」と鼻で嗤われるかも
平均所得も随分上がり街もキレイになったけど、果たして人は幸せになったのかな?
そんなことを考えた

連なって道を走るダンプカーの群れが、この街と人がこれから消えていくのを教えてくれる
本作には川島雄三の「消え去りゆくものへの愛惜の情」を感じると言ったら言い過ぎか…
失われてしまった景色、風情、貧しいけど気楽な生き様、助け合いと人情…
映画にして残してくれた監督に感謝したい

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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