ここから本文です

日本橋 (1956)

監督
市川崑
  • みたいムービー 10
  • みたログ 80

3.83 / 評価:23件

もっと注目されていい作品だと思う!

  • nqb***** さん
  • 2019年5月18日 7時21分
  • 閲覧数 96
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

 市川崑初のカラー作品。不思議なことにあまり注目されていない。映画の観方はいろいろあって、ストーリーで見るもよし。監督で見るもよし。出演者で見るもまたよしである。好きな俳優、女優が出ているから観るいうひとも多いであろう。私にとってはこの作品がそれなのだ。なにを隠そう日本の女優の中で淡島千景は、どストライク。例えば芝居の上手さでは高峰秀子だとは思うけど、顔立ちは全然好みじゃないんだなぁ…。顔立ちでいえば断然、淡島千景なのだ。彼女の代表作って例えば「夫婦善哉」みたいにいわれるけど、あれは森繁ばかりが目立ち、あんまり好きになれない。評価は低いかもしれないけど、淡島千景視点でみるならはるかにこの「日本橋」が上である。

 芸者の話。清葉(山本富士子)とお孝(淡島)はともに売れっ子芸者だがライバル。何事も派手なお孝に対して清葉は奥ゆかしさ、清純が売り。花柳界で清純が売りというのも変な話だが、少なくともこの作品上では、お孝が「動」なら清葉は「静」なのである。ライバル心はお孝のほうが圧倒的に強く描かれている。お孝は清葉にご執心の男を「拾う」ことによって自尊心を満たしている。清葉にフラれた男を拾うことがどうして自尊心を満たせるのかは謎ではある。逆じゃないかと思うのだが、ともかくそういう設定なのだ。(笑)

 この夜も行方がしれない姉に生き写しの清葉に思いのたけのすべてを打ちあけてフラれた医学生の男、葛木(品川隆二)が橋の上で佇んでいたところを怪しんだ巡査(船越英二)に尋問されて往生していたところをとっさの機転でお孝が助ける。この場面がとても個人的に面白かった。この作品の白眉といえるのでないか?

 この日はちょうどひな祭りでお供えの蛤と栄螺を橋の上から葛木は捨てたのだった。新聞紙にくるんで捨てたので、それを見咎めた巡査から嬰児の遺体を捨てたのではないかと尋問されていたのだった。そこにお孝が登場して順番が詰まっているからはやくしてくれという。お孝も蛤と栄螺を捨てにきたという寸法。つまり蛤と栄螺を捨てるのは一般的な事柄だと装って、葛木の窮地を救うわけ。このとき巡査は念のためといい、葛木の名を手帳に書いた後、お孝の名を尋ねる。お孝は「葛木の妻とでも書いてちょうだい」と葛木に寄り添い微笑む。なんか唐突だな~と思ったけど、これは原作にある。あ、原作は泉鏡花ね。kindleで無料だったので今読んでる。ま~、泉鏡花の文章は格調が高すぎて全然頭に入らない。読み上げだとさっぱりだ。最初は清葉に対する対抗心から葛木を助けた形のお孝だったが、もうどんどん葛木に入れ込んでいく。

 印象的なのは、後日巡査がお孝を訪ねてきて、「先だっては失礼した。名前を騙っているのではないかと疑い葛木を訪ねたらとてもいいひとだった」と先だっての手帳のページを破りお孝に差し出す。そこには葛木の名前の横に「おなじく妻」としたためられている。その手帳の切れ端をもらって、巡査が帰った後、あまりのうれしさに手帳のページを抱きしめて部屋の中で小躍りするお孝。この描写がなんかすごいと思った。芸者の純情のシーン、この頃はこういう心意気ってあるんだなぁと思った。ところがお孝のもとにはかつてお孝にすべてを捧げて破滅した北海道出身の熊のような男、五十嵐(柳永二郎)がつきまとう…。

 お孝の可愛がっている年若い芸妓、お千世(若尾文子)が可愛い。助監督は増村保造。自分が監督になったら若尾文子使い倒してやるぞ~とか思っていたのかなぁ(笑)
 とにかく、淡島千景が素晴らしい。淡島千景鑑賞映画である。個人的に完全保存版となった!

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 未登録
このレビューは役に立ちましたか?
利用規約に違反している投稿を見つけたら、次のボタンから報告できます。 違反報告
本文はここま>
でです このページの先頭へ