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東京暮色

yam********

5.0

ネタバレもはや心の拠り所ではなくなった「家庭」

今は監査役に収まり仕事に余裕のある、初老の銀行員の男 単身赴任中に妻を部下に寝取られ、妻は自分も3人の子供も捨てて出奔したという苦い過去を持つ さらにその後長男も山で事故死 男の見込んだ男に嫁いだ長女は夫婦仲がうまくいかず2歳の孫娘を連れて出戻り 男手一つ、手塩に掛けて育てたはずの次女は父に心を開かない 実につらい状況の設定だが、笠智衆演じる父親は淡々としている まるで川の流れの中の岩のように、角が取れて丸くなってはいるが、動かない 時流に逆らうかのように、そこにじっとしている 家族がみんなバラバラになっても、ただ一人、家から離れない さらに「昔の男あるある」だが、彼も決定的に対話能力が欠如している 妹や娘婿とサシで話をする場面があるが、ほとんど「ああ」「そう」だけ 寡黙といえば聞こえはいいが、ブラックホールのようにすべてを内側に飲み込んでいくように感じる 妻が出ていった理由も、おそらくこれが原因だろう 対照的に、彼女の現在の夫はあけすけによく喋る男だ 本作の中では唯一、この二人は情の通じた対話が成り立つ関係に見える 貧しくても、堅物で寡黙な銀行員の夫といた頃より今の方が、彼女は幸せなのだろう こっそり東京に戻ってきて偶然娘たちと再開した彼女は、娘たちに許されず、男と二人でまた東京を離れ流れていく 聞かれたところで、おそらく彼女自身、夫と子を捨てた理由をうまく説明できないに違いない 母を知らずに育った次女もまた自分から滑り落ちていく どこにも心の拠り所がない彼女に笑顔は見られない 軽薄な男子学生に振り回され、子を堕し、自殺する 彼女が本当に求めていたのはなんだったのだろう たとえば、誰かとの情緒的なつながりだったのではないだろうか 自分が本当に求めているものがなんなのか、自分でわかっていない様が痛ましい わかっていないがために心を閉じ、人との対話を拒絶する姿勢も痛ましい 現代でも同じ理由で男や宗教にハマる女性は多いのではないだろうか 人は誰かにゆっくり話しを聞いてもらえるだけで救われる存在なのに そこに目をつけて対話だけで大金を稼ぎ出すことに成功したのはアメリカの精神分析医たちだが、それはまた別の話だ 夫の家を捨て父の家に戻った長女もまた、父に似て時流に乗らない女だ 出世に夢中の夫とはおそらく対話が成立しないのだろう それでも彼女は娘のために自分を殺し、夫のもとに戻る決心をする 時々見せる能面のような無表情が彼女の内面の底知れない空虚さをうかがわせる 一見時流に乗ってうまくやっているように見える男の妹や娘婿、バーの男たちも 金や出世やギャンブルや酒で手っ取り早く空虚や孤独を紛らわせているだけなのかもしれない 現代に生きる我々も、テレビやゲームやスマホや漫画を奪われたら能面のような空虚な素顔を晒すのかも 最後に男は独居老人になるが、彼には妹や同級生やお手伝いさんがいる 現代の独居老人は、独居であることよりも人との情緒的なつながりが全く絶たれてしまうことこそ悲惨なのだと思う 年齢から、おそらく男も戦場で悲惨な体験を経てきたはずだ 戦後の平和になった日本で、また一人になった男はすべてを飲み込んで、何事もなかったような顔で仕事に出かけていく コミュニティを破壊され 家庭も破壊され 自由で孤独な戦後現代社会に生きる我々の行く末までも 監督の視線は見つめていたのかもしれない 戦後12年目に撮られた本作は、我々が何を得て何を失いつつあるのか、今でも考えさせてくれる 対話や情緒的つながりの欠如と言う意味では当時よりも今のほうがずっと状況は進行しているように思える おそらく戦後、寡黙で代わり映えのしない男たちより、気さくな米兵たちに多くの女たちは心を奪われたことだろう そんな苦い経験を乗り越えてコニュニケーション能力の大切さに気づいた男たちは、今やこぞってお笑い芸人を目指すようになった 雀卓を囲みながらラージポンポンと言って笑っている男たちの姿が、監督の考える将来の日本人像だったのかもしれない 時々挿入される変なアングルの町並みのカット 変わった看板の独特のフォント レトロな乗用車 ダルマストーブ、石油ストーブ、こたつ、火鉢 昭和30年代初期の風景風俗も興味深く郷愁を誘われる 64年後の世の人たちがそう思うことも監督はちゃんと分かって撮っていたのだと思う 高度成長期に入ったばかりの東京の姿が、監督には暮れかかっているように見えていたのだと思う

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