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仇討崇禅寺馬場 (1957)

監督
マキノ雅弘
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3.60 / 評価:5件

千原しのぶが演じる狂おしい恋

  • oldfilmer さん
  • 2010年5月7日 22時59分
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    • 総合評価
    • ★★★★★

  浄瑠璃作品としては「仇討」ではなく、「敵討(かたきうち)」がタイトルになる「敵討崇禅寺馬場」というのがあり、これが竹田小出雲、近松半二らの合作として大坂道頓堀竹本座で初演されたのが、1758年、つまり本作品制作の200年前に相当する。この事件は実際にあった事件であり、1715年に起きた。事件から、その浄瑠璃作品化まで40年以上が経過しているのである。映画としては戦前には数作品の映画化作品があるが、戦後は本作品が唯一の映画化である。
  私は浄瑠璃作品を見たことがないので、根拠がある訳ではないが、浄瑠璃作品は返り討ちにあった遠城治左衛門・安藤喜八郎兄弟の方を主人公にしているのではないかと推察される。大阪市内、新大阪駅にほど近い崇禅寺にはこの兄弟の墓が祭られている。本映画作「仇討崇禅寺馬場」では、この二人を騙し打ちにしたとして評判の悪い生田伝八郎を主人公にして、かなりの美化が窺える。
  生田伝八郎を演じる大友柳太郎は私が子供の頃から好きな役者のひとりであるが、武骨で融通の利かない武士を演じるとその演技は際立つ。本作品はその好例であろう。大和郡山藩主、本多忠直(徳大寺伸)は武門の奨励に誇りを持ち、師範として生田伝八郎を召抱えていた。そんな時、大和郡山から遠からぬ柳生藩からその藩主が武芸大会見学のため、来訪しており、伝八郎と同じく大和郡山藩士であるが、柳生流を会得した若者、遠城宗左衛門と勝負する破目になった。柳生藩主は贔屓目に柳生流の若者に軍配を挙げてしまい、伝八郎は師範の役目を大和郡山藩主から解かれてしまう破目になった。失意のまま、自邸に戻った伝八郎は妻、浪江(風見章子)の慰めを求めていたが、父親(三島雅夫)の諌めをはねつけ、浪江は婿養子でもある伝八郎に冷酷な言葉を投げつけるだけであった。
  離縁を覚悟した伝八郎は大和郡山城下を彷徨っているうち、武芸大会で不覚をとった相手、宗左衛門と出くわし、果たしあいの末、宗左衛門を斬り捨てる。恨みを買ったことを意識した伝八郎は宗左衛門の連れの者たちに、「難波で待つ」と言い放って、そのまま難波に向かった。
  その難波で運命の出会いが待っていた。沖仲士頭の万造(進藤栄太郎)に人足監督として雇ってもらい生計を立てていた伝八郎に言い寄った女がいた。万造の娘、お勝(千原しのぶ)である。お勝は伝八郎の女房になることを心から願い、「私を女房にしたら、得やで、情は深いし、顔かて、悪い方やないし」と露わな愛を告白するが、伝八郎は仇討を待つ身として、一向に取り合わない。溜まりかねて、仇討のことを吐露する伝八郎だが、お勝はますます伝八郎のことを愛おしく想うばかりである。
  ある夜、伝八郎は姿を消してしまう。お勝は仇討のことが頭をよぎり、「死にはったんや」と思いつめ、人足らを集めて伝八郎の消息をつきとめさせる。人足のひとり、安(杉狂児)が手がかりを与えてくれた。伝八郎が崇禅寺への道を尋ねたというのだ。お勝は仇討の場所が崇禅寺だと悟る。崇禅寺では、すでに伝八郎と遠城兄弟の壮絶な斬り合いが始まっていた。そして、伝八郎が斬られかけたその瞬間、お勝の手にあった短筒が火を噴いた。その音を合図にお勝の手下の人足が大勢で遠城兄弟を取り巻いた。伝八郎は狂わんばかりに皆を押し止めようとするが、もう遅い。
  以上が騙し打ちの真相という訳である。お勝の恋慕がなせる業というものだ。

  それにしても千原しのぶ演じるお勝の恋情はまことに狂おしい。端正な顔立ちの千原の口から繰り出す切ない愛情の言葉はそれだけに激しさが浮き立つ。千原しのぶ一世一代の演技とさえ言いたいほどだ。町人の娘の赤裸々な恋。それが伝八郎を追いだした気位の高い女、浪江と好対照をなす。大友柳太郎の伝八郎がもう少し応えていれば、この作品はもっと深い陰影を残したに違いないが、私には千原しのぶの狂乱ぶりで納得した。監督は千原しのぶの狂おしい恋を描きたかったのだと思われる。仇討はその機会を与えたに過ぎない。鈴木静一の音楽は明らかにお勝の悲恋を音にしたものだ。

詳細評価

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