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大忠臣蔵 (1957)

監督
大曾根辰保
  • みたいムービー 2
  • みたログ 21

3.20 / 評価:10件

お芝居の定型と変化が分かるような気がして

  • 百兵映 さん
  • 2017年5月14日 10時18分
  • 閲覧数 548
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

 これまでに何回(何十回?)となく観ている忠臣蔵なのに、なぜまた忠臣蔵なのかというと、「正調」忠臣蔵風のものが見たかった(というより知りたかった)からだ。芝居の歴史が分かる、それは舞台演劇から(演劇)映画への移行が分かるような気がするからだ。

 仮名手本忠臣蔵に比較的近い構成のように見える。「仮名手本」が正調であるのかは素人の私には分からないけど、自分ではそのように(一応の定本といえるのではと)感じられる。DVDには特典映像として、各段の浮世絵が紹介されている。ということは、これが一般的だということだ。

 仮名手本では十一段の構成だというから、この映画はおそらく四段ほど割愛してある。各段の切り替えは映画では暗転にしてあって分かり易い。歌舞伎では舞台が回るのだろうか。一応の定本が十一場面(エピソード)だから、これに新説・異聞・外伝を加えて、格段の強弱をつければ、いくらでも「忠臣蔵」は脚色&再生産が可能な訳だ。いや、同じ脚本のままでも、役者によっていくらでもメリハリ、バリエーションが可能なわけだ。十分楽しめたことだろう。

 でも、舞台から映画のセット(ロケを含んで)に移行して、編集自在、フィルム再生自在になると、仮名手本の前提が根本から変わってくるのではないかな。すると、観客は何を楽しむのかな。

 その後の時代劇にも見られる名優の名演技も、歌舞伎の発声と所作なのだということが、この映画でも良く分かった。映画俳優は歌舞伎俳優でなくては務まらなかったろうと思う。劇場舞台からオープンセットへの移行には、新しい可能性もあれば、却って無理になってしまうことも、両方あることが分かる。両方が楽しめた。

 ところで、この「物語」の面白さというのはどこにあるのか、それだけは分からない。この「事件」は史実らしいけど、十一段のどことどこが事実で、どこが嘘なのか、これがまた全然分からない。分かろうとも思わない。むしろ、事件後これを物語にしていくプロセスの方が面白い。

詳細評価

物語
配役
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