炎上

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炎上
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作品情報上映スケジュールレビュー

作品レビュー(21件)


  • みっつん

    5.0

    日本映画で一番好きかな

    日本人で在りながら日本人離れした市川昆の最も才気と感性を感じさせる名作。監督本人が自作で一番好きとも語っている。 戦争映画にしても 『ビルマの竪琴』では戦場の極限でも情感を忘れないように唄を歌った。 『野火』では戦場の極限で人間性を失くしていく。 同じ監督と思えないほど情を求める映画と冷めきった感情を表したり。 これ程までに感性が合う監督がいない。ただ1960年代後半からその輝きが薄れていくが・・・ 2位『東京物語』朝と共にこれから続く孤独の訪れが怖い 3位『この世界の片隅に』名作の香りがプンプンしました。 4位『切腹』疑心暗鬼、推理劇でもある面白さ 5位『歩いても歩いても』現代版東京物語。画面から生活臭がする是枝真骨頂

  • kim********

    3.0

    事実を元にしたフィクションから更に変更有

    映画「炎上」鑑賞。 三島由紀夫「金閣寺」の映画化。 市川崑監督で市川雷蔵と仲代達矢の演技も良いんだけど、フィクションからのさらに変更有りで一体何を見せられてるんだろうと思ってしまった。 実際には懲役刑からの6年で病死だ。 僕は真実が気になる。 虚構の文学ばかりが残って良いのか。

  • ine********

    5.0

    ネタバレ青春の絶望

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • WXYは知ってても、それだけじゃ

    4.0

    己の承認欲求、劣等感と格闘する二人の学生、その心情。 なかば贖罪を感じつつある老師の心情。 表情で演じる三人

  • nob********

    5.0

    雷さまの新境地

    三島文学の不滅の金字塔! 原作に感銘した一人です。 金閣寺の撮影が出来ず、驟閣寺と言う架空の寺にしたが…… 全然美しくなかった。 実際は三層の金閣に対して二層だし。そもそもモノクロなので、色とか分かんないし。観念的に現れる有為子と母乳茶のシーンは入れて欲しかった。 しかし 映画会社からの反対を押し切って、二枚目スターの雷さまが、どもりの主演を演じきり演技派としての新境地を開拓したのは感服いたします。 炎上シーンはモノクロを感じさせない圧倒的な迫力!流石昆ちゃん! 中村玉緒って綺麗だったんだ~。結構すきやわ。 仲代達矢、演技も顔も濃すぎ。(どの映画でも) ラストシーン 原作では余韻を残す名シーンだったが。映画では…… マッ!マジかよー いつか、リバイバルした時、大画面で観たい名作です。

  • le_********

    2.0

    「私」の心理の変遷、描き切れず

    監督:市川崑、原作:三島由紀夫『金閣寺』、脚本:和田夏十(わだ・なっと)、長谷部慶治、撮影:宮川一夫、音楽:黛敏郎、中本利生(邦楽)、美術:西岡善信、主演:市川雷蔵、仲代達矢、1958年(昭和33年)、モノクロ、99分、大映。 配役は、吃りの若い僧侶、「私(溝口)」を市川雷蔵、柏木を仲代達矢、老師を中村鴈治)、「私」の母を北林谷栄が演じている。 第32回キネマ旬報ベスト・テン4位、男優賞(市川雷蔵)、第13回毎日映画コンクール男優助演賞(中村鴈治郎)、第9回ブルー・リボン賞ベスト・テン3位、撮影賞(宮川一夫)、男優主演賞(市川雷蔵)、男優助演賞(中村鴈治郎)、など多くの賞を受けている。 市川雷蔵にとっても、初の現代劇であり、その演技力は、『剣』『ある殺し屋』などに引き継がれていった。 市川崑・和田夏十夫妻の監督・脚本コンビは、この翌年、『鍵』を完成させる。 『鍵』は、谷崎潤一郎の『鍵』を原作を、その内容と雰囲気を正確に掴み、全編を夏十が脚本化した秀逸な作品である。 この著名な映画は、今までたびたび見てきたが、映画として、常に釈然としないものを感じてきた。私のなかでは珍しく、座りの悪い作品なのだ。 レビューを書きやすいのは、大変感動したか、大変失望したか、のどちらかのときだ。 そう、この映画には、個人的には失望した。原作に、ではない。映画に、である。 『鍵』が天下一品の芸術だとするなら、『炎上』は、まことに、「おもしろみのない秀作」である。 すなわち、エンタメ性がないのだ。 脚本は、ほとんど書き直しの連続という難産の末に、これに落ち着いた感じがする。 ところどころに回想をはさむやりかたはうまいと思うし、溝口と母親、溝口と老師などの掛け合いのせりふも問題ないと思う。 映像は、職人・宮川一夫が丁寧に撮っており、初の横長のシネマスコープを、うまく使ったフレームどりをしている。陰影の効いたシーン、仰角俯角でたたみかけるシークエンスもすばらしい。 しかし、それでもなお、原作と微妙なズレがある。 三島自身も試写を見て、これを絶賛したというが、本心はどうか怪しいものだ。 『鍵』も『炎上』も、いずれも原作の映画化だ、と宣言している。 そして、『鍵』は映像として一級品になったにもかかわらず、『炎上』はそれになりそこねている。 前者がカラー、後者がモノクロということは関係ない。 その最も大きな原因は、主人公「私(溝口)」の心理描写に成功していない、という一点だ。 そもそも、吃りのせいで、暗く鬱屈した心の持ち主であり、その「私」が、父親の言っていた金閣を目の当たりにして、絶対的美を意識し、やがてその美が、醜い自分の心にしつこく投影し、しかもその金閣を至上の美として崇拝する「私」には、その「妨害」を如何とすることもできず、やがて心の彷徨(舞鶴への旅行)の末に、金閣を「焼かねばならない」と決意する、・・・・・・ ここまでの心理の変遷は、ほとんど映像化が不可能であり、夏十の実力不足とは言えない。 それでも何とか映像に残したかったという市川夫妻の熱意で、ようやくここまでこぎつけたのである。 『金閣寺』には、「私」に影響を与える人物として、同級生の鶴川と不具の柏木がいる。 この両者とも、「私」の心理からは離れたところで、「私」の金閣放火に間接的に影響を及ぼしている。偽善的な老師も同様だ。 これらのキャラクター描写が弱い。二人あるいは三人ほどの会話シーンでも、セリフは多く、掛け合いも間を置かないので、それが却ってキャラクターやシチュエーション描写の徒(あだ)となってしまっている。 100分ほどの映画にするために、象徴的なエピソードや独白が、かなり削られてしまっているのももったいない。 原作のあるものを、その原作に「忠実に」映画化するのは難しい。 あるいは、文字の並びで完成したものを、映像に変えて実現させることは、ありえてはならないことなのかも知れない。 逆に、映像化したら、そちらのほうが成功して、後から原作がヒットするということもある。 こちらは一介の視聴者だ。 恋愛ものであれ、サスペンスものであれ、戦争ものであれ、楽しめない作品(エンタメ性の低い作品)では、仮に大御所の作品でも、残念なのだ。 黒澤明の多くの作品同様、「おもしろみのない秀作」は、賞の対象になりえても、観る側の心に響かないのだ。

  • w39********

    4.0

    白黒であることを最大限に活かされた作品

    ストーリーそのものは人の心を揺さぶるものではないが、気がつくとこの世界に引き込まれていました。金閣寺(驟閣寺)の美しさを白黒で表現するわけですが、焼失する前の金閣寺を十分に想像できる出来栄えだと思いました。海外に誇れる芸術作品(映画)だと思います。

  • kih********

    3.0

    そんなに美しいのですか、金閣寺って。

     どうも好きになれない。吃音はそれほどまでに障害になるのだろうか。製作者も観客も、どこか吃音を蔑んではいないか?  どうも好きになれない。金閣寺ってそんなに美しいだろうか。美しくはあっても、これに心身が吸い込まれるほどに美しいだろうか? 美に溺れ、身を焦がす人物が、その名刹に火を付けるってことがあるだろうか。  私は門外漢だからとやかく言う理由はないが、感覚的に「好き」になれないだけのこと。火を付けるのだったら寧ろこのような門外漢じゃないのか。  金閣寺消失は大きな事件だったことは間違いない。その真相を知りたいのは誰だって同じ。ただ、その謎解きをやる場合、史実のどの部分を強調するかによって、全然意味合いが異なってくる。作家の中にある主義主張、好き嫌いがもろに出る。そういうものなのだから、見る側も遠慮なく好き嫌いで判断し、反論をぶつけていい。  『五番町夕霧楼(1980年版)』では、修行僧が、「将軍が金に任せて作った(豪奢な)寺を、後の(貧しい)僧が“守る”というのはおかしい」という。後付けの理屈かもしれない。それでも、これには説得力がある。吃音についても致命的障害のようには強調されていない。むしろ終戦直後の貧困社会の矛盾の一つとして著名寺院の高僧や観光化の堕落ぶりなどを遊郭から描いている。『五番町…』は五番町から見た金閣炎上だが、それでは本作『炎上』はどこから眺めたものか、その立ち位置はどこか。  同じ金閣寺を題材にしながら、断然『五番町…』の方がいい。貧しき者の目線で金閣の真相に迫っている。

  • kor********

    5.0

    ネタバレ青年の罪と罰

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • mil********

    4.0

    ネタバレ仄暗いものを抱いて

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • ami********

    3.0

    一緒に消えてなくなろう・・・ はい?

    母親の不浄な行為。尊敬する和尚の底の浅さ。健常者へのコンプレックス。 歴史的遺産に群がる不潔な人々。友達の屁理屈に翻弄される女。 そこには屈折しまくった、ほぼ変質者な主人公が居ます。 多分彼の心情を理解しようとこの映画を観ると、さっぱり分からず、歴史的 遺産を勝手に燃やした主人公への怒りしか残らないでしょうね。 私が何を隠そうそう感じたのでした。 それでも一生懸命分析すると、、 吃りの障害を持っている主人公は、それが故に人とのコミュニケーションが全く とれない。取れないが故に、真の人の気持ちや行動が常人より感じ取れやすく、 それを悟られているとは気づかない周りの人たちとの距離が開くいっぽうで、 周りからは単純な変質者に見え、彼からは浅はかな不浄な人たちと見える。 そして、唯一絶対の美しさを誇る金閣寺が、彼の中での不変的な清らかなものであり この世は全てが不浄だから、一緒にこの世から消えてなくなろう、、、 そんな感じなんですかね。 やっぱりわからん。 この映画や小説・事件で得るものは、人間は絶対に人とのコミュニケーションを おろそかにしてはならないということに尽きます。 どんな手段であろうと、それを止めたら人間ではなくなってしまうという教訓ですね。 市川雷蔵のリアルな演技に☆を贈呈します。鴈治郎もいいけど、うまいですね雷蔵は。

  • aok********

    4.0

    金閣寺を焼かねばならぬ……

    ものすごく深い話なのだと思ってる。 映画は、原作とちょっとブレたかもしれない。 だけど、その奥底の何かの、輪郭を浮かび上がらせる事には成功してると思う。 諸事情により、金閣寺の名前は変えられているけど、 皆、実際の事件を知ってるし、三島の小説はあまりに有名だから、いいさ。 雷蔵、すごいよなあ。 切ないですね。人間って。 愛してるなら大事にするとか、そんな簡単なイコールなら 人間は誰も不幸になってない。 そもそも、大事にしたからって幸せや欲求が満たされるかは別だ。 しかしマイナーなんですね、コレ。 私の周りにも観たヤツがいねえ…… 結構、佳作はキープしとるラインだとは思うのだが?なぜ?

  • ami********

    5.0

    特別な映画です。

    とことん暗い映像の中で、宮川一夫の撮影技術が光ります。 人間の誰しもが持つありがちな欲や妬みを、役者陣が淡々と自然に演じています。 三島文学は、内面を描く描写が非常に多いため映像にするのは非常に難しいと思いますが、脚本の和田夏十は、原作に無い人物や場面を作り出すことで三島作品の「金閣寺」とは別の金閣寺に関する物語を作り上げました。 当時二枚目俳優で通っていた市川雷蔵が、大映の大反対を押し切って企画の段階から加わり出演を熱望した意欲作です。この映画で市川と宮川はブルーリボン賞を獲得しました。 今見ると豪華すぎるスタッフとキャストにより、他の映画には絶対に見られない独特な作品となっています。

  • xtj********

    5.0

    人間の心の闇

    国宝の建造物に放火をしてしまった青年の心の動きが、とても冷静に丹念に描かれていた。 やはり、脚本の和田夏十のストーリーテーリングはすばらしい。 物語の中で、時間がいったりきたりする。 時間が変化するとき、年代を字幕で表したり、「そう、それはあの時・・・」とか言わせて時間移動する事が多いが、この作品は、とてもシンプルに説明している。秀逸なのが、戦争が終わったという描写を進駐軍の人たちで説明していた所。見ていて何の違和感無く時間が移動するのである。 どうして、あの青年が放火をするようになってしまったか? その青年の心の闇は、最後の最後まで分からない。「どもり」というコンプレックスと「どもり」を嘲る無理解な人たち。そして、複雑な家庭環境などなど・・・。表面的要因はいくらでも挙げることができる。でも、それでも分からないのだ。 この青年の心の闇より他の登場人物の心の方が、僕は怖く感じた。 あの純粋な少年が、周りの人間の醜い心に振り回され、彼はどんどん自分の世界に閉じこもるようになる様を見せられると、結局「あの青年が放火をしても、それはそれで仕方なかったのかもしれない」と僕は思ってしまった。 「わかってくれへん・・・誰もわかってくれへん・・・」 青年は国宝の建物を見つめながらそう呟いて、火を放つ・・・。 ここで放火の是非は問題ではない。問題なのは「心」であり人間のリアルな姿だ。誰が悪いとかの話ではなく、「人間とはこんなものだ」という一種の諦めた感じだ。 そういう意味では、時間の経過説明を極力排除している描き方は成功していると思う。簡単に言えば、主人公の心の動きが途切れる事無く伝わってくるのだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 所で、音楽を担当したのは黛敏郎。オープニングから黛節全開のスコア!アブストラクトな打楽器のような音は一体なんの音なのだろう??芥川也寸志は叙情的な雰囲気だが、黛は重厚な感じだ! そして、やはり若き日の市川雷蔵!ドモリというコンプレックスを持ち、内面へとずぶずぶ入り込んでしまう悩ましい青年を見事に演じていた!他にも中村雁治郎、仲代達也、北林谷栄などの演技も見所だ!

  • ********

    3.0

    金閣寺といわない理由

    いろいろあったんだろうなぁと思ってしまう映画です。三島由紀夫「金閣寺」の映画化なのですが、あれほど有名な本を元にしながら、それと名乗れない理由。まず、金閣寺からの注文があったのだとは思います。三島自身が、現実の事件を小説化するとき、金閣寺には取材できなかったといっていたと思います。 映画は小説に忠実で(つまりドモリの青年が金閣寺を燃やす話)、そのせいで、削った部分が唐突すぎて原作を読んでいない人には不親切なくらいですが、それでも小説のタイトルをつけなかったもうひとつの理由は、中村雁治郎だと思います。市川雷蔵よりもキャラが立ってます。小説ではほとんど描かれない内面が描かれていて、雁治郎演じる和尚さんの心の悩みの映画にも見えます。雷蔵演じる主人公の内面なるものが小説に比べて弱すぎるということもありますが。 あとひとつ、タイトルが金閣寺ではない理由は、金閣寺が美しくないことです。セットでつくったのでしょうが、小説に描かれる「美そのもの」にまったく見えない。唯一、ラストで燃えている金閣が、ほとんど灰か粉になって舞っている映像だけが美しかった。 結論=小説のほうがおもしろい。

  • gar********

    5.0

    白黒だと今の今まで忘れてた(笑)

    これは・・・すごい(笑)邦画見終えてこんなに興奮したの久しぶりだ。 通俗的な先入観から三島由紀夫という人物の作品に触れることは一線引いてきた私にはちょっとショックです。自分で自分に驚いています。 まず映像が素晴らしい。色がないはずなのに色が見えていると愚拙の脳は判断していたようだがなぜだろう・・・。 鑑賞後ネットに落ちていた元のあらすじを読んでみましたが、当然でしょうが原作の小説のほうが三島由紀夫の意図したモノにより鮮明な形で触れることができるでしょう。 ただ実際映画見た後にこんなに原作を読みたいという衝動にかられたのは本当に久しぶりだ。 非常に感化されました。だからと言って憂国の戦士になろうとは微塵も思ってはいませんが(笑)。 あ、ここは「(笑)」使っちゃいけないところなのかな・・。 だが仮に天国というモノが存在し、三島由紀夫が私たちを見ているとするなら、強烈なニヒリズムな当作品に照らしあわせれば笑い飛ばしている私を見て彼もまた笑っているかもしれない。 市川雷蔵さんはじめ周囲を固める俳優陣の演技も素晴らしかった。 恐れいりました(笑)

  • ぴーちゃん

    4.0

    「炎上」と「金閣寺」(1976)

    市川崑の1958年の「炎上」と高林陽一の「金閣寺」(1976)を見比べてみた。どちらも言わずとしれた三島由紀夫の「金閣寺」の映画化である。「炎上」はなにが凄いかっていってその映像美に尽きる。撮影はあの宮川一夫。黒澤作品などでつとに有名。「羅生門」の太陽のカットなんて伝説的。とにかくモノクロの画面の美しさときたら天下一品。他の追従をまったく許さない。クライマックスの炎上シーンは言うに及ばず、寺の内部の奥行き、庫裏や食堂(じきどう)の広さなど日本建築の優雅さと言うものをここまで美しく魅せる技は奇跡的ともいうべきであろう。おいらの言うことが間違ってると思うなら、凡百のつまらない構図の邦画がどれだけ巷に溢れているかを検証してみればよい。キャストもまたいい。主人公の吃音の修行僧に市川雷蔵。足の不自由な友人、柏木に仲代達矢。しかしこの作品ではなぜか、刈谷という名前に変更されている。遊郭の娼婦まり子が中村玉緒。それぞれみんないいんだけど、白眉は老師役の中村雁治郎。福々しい輪郭に何を考えているのか分からないような目つき。完璧な演技で老師の表裏を演じきっている。実はこの「炎上」は金閣寺からの協力を得られないばかりか、金閣寺の名称の使用も拒否されたためにタイトルの変更を余儀なくされたようである。だから作品内の呼び名も金閣寺ではなく”驟閣寺”になっている。しかしながら、重要な登場人物である柏木を何故刈谷にしたのかが解せない。まさか全国の柏木さんからクレームが入ったわけでもあるまいに…。だがこの「炎上」は原作とは方向性を異にしていることは疑うべくもない。それが決定的なのは映画のラストシーンに集約されている。原作は金閣に火を放った後に主人公は自殺用に持っていた小刀と薬の瓶を谷底に投げ捨て一仕事終えたかのように煙草を一服して生きることを決意して終わるのだが、この作品のラストは、列車から飛び降り自殺を図って死んで終わっているのだ。「炎上」では友人二人、鶴川と柏木の原作における重要度はかなり下げられている。変わってこの作品では母親(北林谷栄と老師の比重が大きく描かれている。一番不満に思うのが、主人公の性に対する描写のほとんど意識的とも思えるほどの割愛である。この映画には主人公の初恋の相手である有為子も出てこず、乳飛ばしの場面もなければ、米兵の連れの女の腹を踏みつける場面もない。要するに主人公の内面の性的葛藤が抜け落ち、綺麗ごとすぎるのだ。1976年の高林版ではもちろん有為子も登場するし、全ての三島らしい場面もこれでもかと言うぐらいに映像化されている。もちろんATGということもあるだろうし、時代背景もあるだろう。原作に忠実な分、評価が低いと言う大変気の毒な作品になってしまったようだ。映画と原作はもちろん別物だと考えている。それぞれ独立した作品である。だからこそ、その独立性において「炎上」のほうが世間の評価が高い。しかし、私のような三島ファンは市川雷蔵よりも1976年版の篠田三郎によりシンパシーを感じてしまうのである。だからこそ、私としてはこの「金閣寺」を擁護したいと思うのである。たとえば「炎上」では、女の腹を踏む場面はこういう風に脚色されている。米兵にぶたれた女はいきなり走り出し驟閣に入ろうとする。それに驚いた溝口が阻止しようとしてもみ合いになる。「驟閣を汚したら、承知せえへんで」倒れた女はお腹を押さえて苦しげにうめく。あわてて溝口は助け起こそうとするが、それを制して米兵は溝口に「心配するな。この女は妊娠してたんだ。(手間が省けた。)ありがとう」と早口の英語でまくし立て礼を言って煙草を2カートン押し付けて、ようやく立ち上がった女を連れて帰っていく・・。原作では金閣に入ろうとしたなんていう描写は皆無である。むしろ逆で参拝路の入り口に向かって駆け出すのだ。つまりこの場面での要点は、驟閣(金閣)を守ろうとしたということを観客により印象付けたかったということと、女の腹を踏むことに喜悦を覚える溝口の屈折した性衝動の秘匿なわけである。金閣の美しさに魅せられた青年と言う面ばかり強調される市川崑演出にへそ曲がりのオイラは反発を禁じえないのを白状するものである。ただし、この原作とは違うアプローチを試みたことは大いに評価しなくてはいけない。まさにこれこそが映画作家たるものの仕事であるからに他ならない。原作を忠実に映画化するのではなく自らの解釈を加えることこそが芸術だろうと思う。しかしながら「炎上」はやはりアッサリし過ぎている。三島作品の濃密さが圧倒的に足りない。幾重にも折り重なったパズルのような複雑な世界が分かり易い淡白な世界になってしまってると感じるのは、やはりオイラが三島文学の囚われ人だからなのかもしれない。

  • mar********

    2.0

    観ていてちょっともどかしくなった

    主人公が吃音(どもり)です。 私のまわりに日々どもる人はいないのですが、 どもりってこんなに差別というかばかにされるものなのかなぁ。 職場に電話を出るときだけ、会社名がどもる男の子がいるのですが それを聞くたびに、ちょっと癒されるというか、和むから、 なんかどもってても良い気がするけど、どうなんだろうなぁ。 主人公はとっても謙虚な良い青年なのに、誤解されて 悪い方悪い方へ進んでいくので、 観ていてちょっともどかしくなった。 お母さんとか本当にうっとうしいし。 映画は、多分けっこう名作で面白いのだと思うんだけど、 盛り上がっていったであろうクライマックスを眠ってしまったので また、ちゃんと観たいなぁ。 2005/7/1

  • いやよセブン

    3.0

    三島由紀夫の「金閣寺」

    市川崑が監督、市川雷蔵、中村鴈治郎[2代目]、仲代達矢が出演している。 現実にあった金閣寺放火事件だが、犯人の吃音症の青年の犯行動機がわからない。 映画の中では仲代達矢が説明役を果たしているのだが、自分があれほど愛して止まなかった金閣寺を何故、燃やしてしまったのか。 心中の変形だろうか?

  • min********

    2.0

    ネタバレんっん~~~。。。

    このレビューにはネタバレが含まれています。
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