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森と湖のまつり (1958)

監督
内田吐夢
  • みたいムービー 4
  • みたログ 18

3.71 / 評価:7件

日本のなかの民族問題

  • 文字読み さん
  • 2010年4月22日 0時21分
  • 役立ち度 7
    • 総合評価
    • ★★★★★

1958年。内田吐夢監督。武田泰淳の小説の映画化。北海道で徐々に和人と混じり合っていきながらそれでも差別され続けるアイヌの人々を描いています。アイヌの人々から奪うように募金を集めてアイヌ復興を目指す跳ね返りの若者が高倉健。その男を嫌いながら次第に惹かれていく和人の画家が香川京子。自らアイヌと知らずに差別する男が三国連太郎。単一民族神話がまことしやかに語られてしまうこの国では稀有な民族問題を正面から扱っています。

すごいのは、「日本」―「アイヌ」という枠に収まらない複雑極まりない設定です。アイヌの人がみんな善良なわけでもないし、和人のなかにも共感的な人がいる。さらにその共感的な人たちも一様に同じように共感的なわけではなく、基金の大元の大学教授は善意で金を集めつつアイヌを研究対象として観察するわけだし(そのせいでかつてアイヌの恋人を失う)、逆に、かつて差別を恐れてアイヌ女性との結婚に踏み切れなかった教師は放浪の旅の末にその女性の下に戻ってくる。なにより高倉健が純粋なアイヌではなかったことを知っていくこと、逆に三国連太郎がアイヌであると知っていくことが、映画の大きな展開になっています。

そして「あいのこ」と差別的に言われている混交状態の複雑きわまる世界では、この「知っていく」過程も直線的に描かれるわけではない。本人が知らないだけで、他の人の噂話として観客は最初から二人の本性を知っているのです。だから彼らが知るに従って悩みが増していく過程が心理的に一本にはつながらない。とても不思議で過剰な悩みに見えてきます。

もちろん、画家の香川京子がアイヌの娘を絵にしようとして「肌の色がうまく描けない」と悩むところに強烈な本質主義的な民族主義が表れていますが、そうした「本質」はいずれも混じりあっている。そこから混じりあいを超越して「労働」や「神様」へとむかう人たちもいるものの、混じりあいに留まる人たちにこそ未来の希望をみいだしているらしい。

それはともかく湖と山がとてつもなく美しく、今では見られるかどうかわからないアイヌの人々の民族的儀式もみることができます。男女の交わりシーンが、掘っ立て小屋、焚き火、濡れた服を脱ぐ女性、とくると「伊豆の踊り子」かとつっこんでしまいましたが。。。

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