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愛と希望の街 (1959)

監督
大島渚
  • みたいムービー 3
  • みたログ 61

3.88 / 評価:17件

硬質な抒情の眩いばかりの輝き

  • nqb***** さん
  • 2014年1月3日 1時14分
  • 閲覧数 724
  • 役立ち度 2
    • 総合評価
    • ★★★★★

大島渚のデビュー作。初見だった。年末のあわただしい中、テレビの前にノートひろげて年賀状作ってた。見るともなしにCSかけてたのだが、引込まれた。

 正直ラスト5分には圧倒された。鳩を撃つという衝撃のラスト。ものすごく心をを揺さぶられた。正直に言うとこういう作品に心を揺さぶられる感性が自分にまだあるってことで少しホッとしてもいる。このところ醒め切ってしまって何を見ても心から感動できず感性がボロボロに錆び付いているのも自覚しているのでまだ感性が死んでないってことを確認できたから。この作品当時、大島渚、27歳。その瑞々しい強靭な感性で、確固たる信念をもって日本映画史上に忘れ得ぬ一本を残したと思う。正直、現代から見るとあまりにベタな貧富の差の描写といい、今の人から見れば笑ってしまうほど陳腐な展開なのかもしれない。だけれどもデビュー作で言いたいことをこれほど力強いメッセージとして発信できた大島渚というのはやはり只者ではない。“富める者と富まざるものは分かり合えない”のだ。それに対する怒りが満ち満ちているラスト。だが、その裏には社会的弱者に対する優しい視点があることを忘れてはいけない。

 正夫の鳩は貧富の差を埋めるはずのメッセンジャーだったのだ。事実、京子がなかなか取りにこないもう一羽の鳩を返すのは鳩に手紙を託して空に飛ばすことで達成される。普通鳩は「平和」の象徴とされている。その鳩を撃つという衝撃!この映画では鳩は「愛」であり「善意」の象徴だ。それを猟銃で撃ち殺すシーンのあまりの沈痛さ!27歳の大島渚がこのとき訴えたかった格差はそれではいま是正されていると言えるのか?確かに今日の日本ではそこまで貧しい人は表面的にはいないのかもしれない。だけど社会の歪み自体はこの時代より進行しているのじゃあ、あるまいか?

個人的に京子が二度目に鳩を買う場面が切なくて好き。

「あたしね、謝りに来たの。兄貴もパパもアンタのために何もしてくれなかったことを。例え会社には入れなくても、アンタとあたしの友情は変わらないように逢いにきたのに。それなのに酷いわ。この鳩また売るなんて!人間じゃないわそんなことするなんて」
「スイマセン。この鳩売るの二度目じゃないんです。何度も売りました。鳩は買ったひとの不注意でたいてい逃げ帰ってきます。」
「詐欺じゃないの。まるで」
「あなたに売った時も1羽逃げて帰ってきたんです。いままで隠しててすいません。」
「この鳩買うわ。この鳩もう帰らないわよ。いい?」
「ええ」
「もう鳩いらないの?嫌いになったの?」
「いいえ。でも鳩なんて持ってなかったほうがよかったんです。」
「さよなら…。」 

 確かに非常に観念的で未成熟な部分も多い。頭の中で作ったようないびつさのある脚本でもあるのだが、逆にそれだからこそ不純物が取り除かれ余分なものが一切入り込まない分、硬質な抒情ともいうべき芳醇さが濃縮されて、その若さゆえに他の追随を許さないほどの眩いばかりの輝きを放っているようにオイラには感じられる。名作と言って差し支えないと思う。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 悲しい
  • 知的
  • 絶望的
  • 切ない
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