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浮草

浮草

119

たーちゃん

4.0

ネタバレお父さんなら、また旅に行きやった

小津監督の作品は何気ない日常の中の作品が多い印象でしたが、そんな中ではかなり感情的には激しい作品だったのではと思います。 大衆演劇の座長 嵐駒十郎(中村鴈治郎)が二十年前に居酒屋の女将 お芳(杉村春子)といい仲になり、清という子供が出来、十二年振りに訪ねてくる事から始まります。清(川口浩)はすっかり大きくなり、郵便局に勤務しています。 それに感づいた現在の妻(妻ではないのかしら?)すみ子(京マチ子)はお芳の店に行ってしまいます。駒十郎はすみ子の行動を罵倒し、自分のしている事を正論としようとします。悔しいすみ子は旅芸人仲間の加代(若尾文子)に清を誘惑させる事をお金を使って依頼するのだった。 若尾文子が誘惑するシーン。とても可愛く魅力的です。あれでは普通の男性は骨抜きにされてしまうでしょう。そこで清の方の表情なのですが、影にして全くどんな表情をしているのかうかがい知る事はありません。あそこで顔を隠させたのは何か理由があるのでしょうか。小津さんの文献はかなりのこっていると思うので、あそこの演出意図を知りたいと思いました。 この頃の旅芸人という立場はかなり身分の低い感じだったのでしょう。 これから未來のある清が加代を好きになろうとすると「うちなんか、あかんのや」と頑なに拒否をしています。 愛人として生活していたお芳も旅芸人という駒十郎という人のキャラクターもあるのでしょうが、一緒の劇団で夫婦当然に暮らしているすみ子の事も仕方のない事として認めているお芳。 芸人なんて自由奔放が芸の肥やしともいいますが、かなりのいい加減さだなと思いました。 親方と芸人の立場というのは今では考えられないほどのパワハラとセクハラ。暴力によって自分の言う事を聞かせていた、日本の悪習のザ芸能界の原点のような場だったようです。殴られ、蹴られ。「ドアホ!」と怒鳴られます。それでも親方というすみ子や加代です。今の子だったら、すぐに出て行ってしまうでしょうね。 清が加代とかけおちをしようとする場でも加代は清に帰った方がいいといいます。「うちみたいなもん、何とかなるわ」揉めた後に廊下がインサートされ、次のカットではキスしている清と加代。小津調のラブシーンです。清の背中に加代の手が伸びるだけでエロチックに見えてしまう凄さがありました。 一座は木村(星ひかる)に金の持ち逃げをされて、一座解散となってしまいます。 この部分の描写が少ないので、どうして解散になったのかが、良く伝わってこないと思います。 音楽が全体的に軽妙な感じで同じ曲が使われていて、解散の場面では合わないなと思いましたが、これも日常の一つととらえればいいのかなとも思いました。 座員の吉之助(三井弘次)矢太蔵(田中春男)仙太郎(潮万太郎)の三人のやりとりがおかしいです。 雨の中の駒十郎とすみ子の喧嘩のシーン。すごい土砂降りの中で、京マチ子さんのキレイなのがとても表現されていました。 今回の映画は背中にかけてのショットが多いように思いました。なので余計に正面の芝居の効果があります。 ラスト近くにずっとおじさんだと思っていた駒十郎をお芳が清に本当の父親だと紹介するシーンがあります。清が言います「何で今頃になってそんな事いうんや。出てって欲しいわ。出て行ってくれ」という川口浩さんの芝居。ここの鴈治郎さんのさびしそうな表情、杉村春子の思いのこもった表情。 「もう一度役者をやってくる」という駒十郎。ここを見つめる若尾文子さん。ここで若尾さんが「親方、うちも一緒に連れてって」といいます。さんざっばら罵倒されたあとにいうセリフです。その後に「可愛いやっちゃ。清を偉い男にしてやって」と頼む駒十郎です。 「おじさん、どこ行ったんや」「お父さんやろ」「このままでええんや。お前さえ偉ろうなれば、それでええんや」 ここのシーンは国宝級の名シーンだと思いました。 ところどころ挟まれる何気ない提灯や蚊取り線香のカットと遠くの汽笛の音と虫の音がその場をうまく表現していて、素晴らしいです。 そんなでも、ラストは親方についていくすみ子。あれだけ罵倒されていても一緒に行動しようとするすみ子。僕には愛人のお芳よりもこのすみ子の方がいい女だなと思います。 役者稼業を浮草稼業といいます。浮草のように転々として一つの場所に落ち着けない職業をいうようです。 まさに浮草稼業のむなしさを見事に表現していました。

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