太陽はひとりぼっち

L' ECLISSE/THE ECLIPSE

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太陽はひとりぼっち
3.2

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作品情報上映スケジュールレビュー

作品レビュー(36件)


  • abu********

    3.0

    ネタバレ生きる手応え

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • スーザン

    2.0

    愛の不毛大作戦。

    アントニオーニ監督の不毛シリーズは、どれも全く共感が湧いてこないので、モニカ・ヴィッティを見て楽しむだけです。 本作はヒロインの孤独や不満が理解できず。 好き合った二人が恋人同士になって、、、という過程や心の機微をどうしてこんなにややこしくするのか? こんなに悩んでいたら、そりゃあ不毛だわ。 今作は相手役がアラン・ドロンなので、目の保養が2倍になります。

  • ame********

    2.0

    株取引映画?実験映画?

    取引所の描写が長い長い 暴落破産追証自棄 素直になれない女 突然のじゃれ合い躁鬱質? 最後主役も消えて実験映画ね 結局一体何の映画? しかし ドロンは男前だなあ

  • aki********

    3.0

    色褪せないモダンムービー

    何もかにもモダン( ˙꒳​˙ ) ファッション、建物、立ち振る舞い全てかっこいい! 証券市場って昔は人の手でやってたね! ある意味職人要素もあった! 主演女優のカリスマ性は(ㅅ´∀`*) スゴイ

  • kin********

    5.0

    映画芸術が成立した時代

    どうでもいいような、男女の別れと出会いが、 きめ細かな映像で綴られていく。 スタイリッシュな映像で飽きさせない。 スターを使って、こんな個人映画のような作品ができた 映画が幸福だった時代の作品だと思う。 現代も機材の進歩で、映画製作のコストは 一部劇的に下がり、このような傾向の作品を作るのは可能でも、 スターを出演させ、迫力あるモブシーンを展開するのは不可能。 ラスト、絶対に当たり前のエンタテイメントにはしない、 という監督のこだわりを感じた。  ストーリーはあるような、ないような、 それでも最後まで目が離せない、映画的魅力があった。

  • しーもあ

    2.0

    美しい二人

    モニカ・ビッティとアラン・ドロンが美しい。二人とも、あまりに美しいので、金持ちだろうと貧乏人だろうと、恋には不自由しないだろう。二人の美しさに1点ずつ進呈。美しい二人を見るための映画だと思うことにする。物語はどうでもいいような中身だったので忘れた。

  • かぷちの

    3.0

    これはこれで。

    容姿端麗な主役2人の駆け引きが見てただけで楽しめたからいいっかと。社会情勢を男女の関係性において表すのに消化不良で、観てる側も消化不良な気持ちに。主演女性の妙な動きや眼差しは、この映画の独特な空間を引き込ませた。情緒不安定、虚無感、喪失感という気持ちって、本人も無自覚でよく分からないままに湧き上がる。そんな分からなさを映画で表現するのもある意味、1つの芸術だと思えた。

  • bar********

    4.0

    アントニオーニの意図していたこと

    太陽はひとりぼっち。 アラン・ドロンとモニカ・ヴィッティ。美しいですね。 この映画は恋愛ドラマですが、意味のある物語になっていません。人を好きになる→恋愛関係になる→幸福って何だろう……?→やっぱり恋愛じゃ幸せにはなれないのかな……?という映画ですね。 むつみ合っていても、時に「ハッ」と我に返る。悲しそうな表情になる。 その満たされない心がこの映画の中心テーマなんですね。 ただ、意味のない物語(映画)だから価値がないのかというと、そうではなくて、その人間的問題の問いかけを考えるだけでも価値はあると思います。 ただ、難しい話題ですし、それに映画としてそれを見て、果たして面白いのかと言われれば、まあ面白くはないですね(断言 映画というのは絵画であると同時に物語でして、アントニオーニはそこを奇妙に分断してしまうんですね。登場人物は監督の作品的意図を語る口となったり、登場人物らしいただの人間に戻ったりします。そこに一定の調和はあるものの、物語の物差しというものはそこで完全に破棄されてしまっているんですね。 アントニオーニは登場人物に情緒不安定さとも取れる行動の移ろいを与えており、その人物がキャラクター性というものを獲得する前に奇妙に他の方向性を与えてしまい、それ以前の行動を無意味化してしまうのです。 そうすると強く視聴者に徒労感が残り、監督の意図している問題がうまく伝わらなくなってしまいます。ここは物語に一貫性がないという批判が的を射ており、物語としての形式を保持したまま、監督の意図しているものを伝える努力をすべきだったと思います(まあ、テーマ自体これと相容れないものではあるのですが……そうするとテーマの是非が問われることになりますね)。

  • al2********

    3.0

    太陽はひとりぼっち

    恋愛映画なのにこの虚無感。 愛し合ってる最中もおしゃべりをしててもふっと我に帰り無表情になる女性(モニカビッティ)が何とも女性の本質を見てるようで怖い。 アントニオーニ監督愛の不毛三部作の一作で評価も高いが見た後に人間不信になってしまいそう。 株の仲買人役のドロンは相変わらずの色男。

  • sek********

    4.0

    かりそめの平和

    この映画の本質は愛の不毛でも当時の社会問題でもない。実存である。どれだけ株取引で一喜一憂しようが、どれだけ見つめ合って愛を確かめようが、それは一時的な幸福にしかならない。人は絶対に死ぬ。その不条理は、生きる限り目の前に存在し、変わることはない。この映画はローマの日常風景に不自然な造形の俳優を置くことで、人間がどの時代も漠然と抱える不安を暴いた。 ラスト、新聞の見出しに字幕で「かりそめの平和」と出た。平和とされる現在の日本に生きていて、これほどハッとした字幕はない。今もどこかで、それこそどの時代にも、日常のように暴力やイデオロギー対立が起きている。それを思い知らされた。

  • rec********

    2.0

    愛は「不毛」ゆえに何も起こらぬのか?

    ひとり歩くモニカ・ヴィッティと人ひとりいない集合住宅街。 アントニーオニを語るのはこれだけで充分な気がします。 その情景を観たい方がご覧になればよろしい。ただ「不毛」な世界を描いているそうなので何も起こりませぬ。

  • sec********

    1.0

    娯楽映画と社会問題は別、観る価値なし!

    当時は、評価され受賞されたようだが、 自分が率直に言わせてもらえば駄作も駄作。 恋愛映画を社会問題と絡ませ同じ範疇でまとめようとした一般大衆には難し過ぎる哲学的伊仏合作映画。 映画は楽しみたい所謂娯楽なので、勉強する所ではない。まさに勘違い作品。 監督や作者の自己主張が強すぎる失敗例。 ただアランドロンの証券取引所で働いている シーンの演技だけは、若くハツラツとしている。女優の使い方は、良くないむしろ下手。 注目度、個性、意外性を求める余り、 エンディングはこれまた尻切れトンボ。 映画界の華やかさと相反する暗い虚無感のある社会問題に着目したのは、大失敗だと思う。

  • fg9********

    4.0

    男と女の愛なんて蝕まれた欠片のようなもの

     …普段、WOW〇〇を中心に映画を愉しんでいるが、初回放送もので面白そうな作品がないので、マイ・ライブラリー(3000作品以上)から無作為にチョイスして観てみる。  …ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「愛の不毛 三部作」と言われている『情事』、『夜』に続く今から半世紀以上も前の1962年の作品だ。  …あらすじは解説のとおりと書いても何も伝わらないだろう。  アラン・ドロンが主役かと思ったら、むしろモニカ・ヴィッティの方が主役で、彼女が演じるところのヴィットリアがフィアンセとの婚約を解消するところから始まる。  で、相手の男性は何故婚約を解消されたのか解せないのだったが、当のヴィットリアにも上手に説明できないのだった。  一方のアラン・ドロン演じるところのピエロは、証券取引所のベテラン・ディーラーで颯爽と株取引をしている様子がカッコ良い。  で、証券取引所には100人以上の株を売買する人たちでごった返していて、この騒々しくも慌ただしい場面が結構長く続く。  ヴィットリアの母親も株取引に夢中で、かなり儲かっていたようだったが、そんなある日、株の大暴落が起きてヴィットリアの母親はスッテンテンになり、ピエロの会社も危機に瀕するのだった。  で、ヴィットリアとピエロが出会い、ピエロは女よりも金こそ命的な性分だったが、アンニュイなヴィットリアに魅かれて、二人は激しく愛し合うのだった。  で、二人は、「明日も、明後日も、次の日も、そして、その次の日も……会おう」と誓い合うのだったが、ラストの10分間に二人は登場せず、町並みやら、情景やら、行きずりの人々の表情のない顔が映し出されて幕を閉じるのだった。  で、幕を閉じる寸前に、ベンチに座って新聞を読んでいるオジサンが映し出され、その新聞記事の大見出しは、「各国とも核保有なんとら~~」とか書かれていて、本当に幕を閉じるのだった。  なんとも衝撃的な結末だったが、本作の原題は『L'eclisse』で、日蝕とか月蝕の「蝕」の意味があるらしいのだが、観終わってみれば、「愛の不毛」なんてロマンチックな香りはこれっぽっちもなく、「核」の脅威の最中にあっては、男と女の愛なんて蝕まれた欠片のようなものに過ぎないなんて、益体もない思いに至ってしまったことでもあった。  こんな思いに至らせるミケランジェロ・アントニオーニ、あんたはやっぱり凄い監督なんだ!

  • e_s********

    2.0

    芸術は、難しい

    いずれ、ひとりぼっちで死んでいくであろう、男と女… 全く共感できない。 何か意味があることくらいはわかる。 でも、その意味そのものがわからないので、嫌悪感しかない。 早く忘れたい作品になってしまった。 映画を見る力が必要なタイプだけど、そんな作品は、最近、疲れてしまった。 努力はしない。 嫌いなものは、嫌い。 アラン・ドロンの作品は、私的に名作が少ない。

  • gan********

    1.0

    ネタバレ何が不毛って、この作品が不毛だよ!(怒)

    このレビューにはネタバレが含まれています。
  • 一人旅

    3.0

    静かな、静かな、

    ミケランジェロ・アントニオーニ監督作。株式仲介人役のアラン・ドロンがかっこいい。セリフは全体的に多いけど、株式市場で出会った二人が肝心の愛を伝え合う言葉は少ない。映画の終わり方は特にそうで、静かな映像だけで結末を観てる側に表現しているのが印象的。

  • fbx********

    3.0

    愛の不毛

    からからに乾いた大地。 アントニオーニは愛の不毛を乾きの中に描き続けた 希有な作家だ。 彼の作品は映画好きなら、必ず抑えておかなくてはならない。 やはり、この作品も乾ききった感情の中で 生きなくてはいけない人間を緻密に描ききる。

  • アニカ・ナットクラッカー

    4.0

    現代人の空虚な心を映した難解な映画

    『太陽はひとりぼっち』は、1962年に作られたフランス・イタリア合作の白黒映画である。アラン・ドロンのキャリアとしては「太陽がいっぱい」と「黒いチューリップ」の間に位置する。若い頃のドロンは、こういった作家性の強い難解な映画にも出演していたのだ。監督はミケランジェロ・アントニオーニ。名前だけは知っていたが、彼の映画を観るのはこれが初めてだった。 現代の目で観るとよく分からないところ(50年も前の映画だから無理もない)、逆に今でも十分カッコいいと思う場面が混在している。ストーリーを一言でいうと、スペイン語の翻訳をしている若い女性ビットリア(モニカ・ビッティ)の、満たされないが何が足りないのか分からない、何か起こりそうで起こらない、もどかしい日常を描いた映画といえるだろう。 主演のモニカ・ビッティはワンピースがよく似合う、面長の美人である。アフリカ人の真似をして踊り回ったり、アラン・ドロンとガラス越しにキスしたり、いろんな表情を見せてくれる。しかし「ワカラナイ・・・」というセリフの連発には、言葉がもはや意味を持たぬようで、彼女の目はマネキン人形のように、感情をどこかに置き忘れてしまったようだ。 小さいころ、同じ単語を何度も何度も繰り返してしゃべると、そのうちに単語の意味は失われ、単純な音声の連なりとしか感じなくなるという一人遊びをやったのを思い出す。恋人リカルド(フランシスコ・ラバル)と理由もなく別れていく冒頭のシーン(これだけで10分近く要する)に乗れるかどうかで、本作の印象が決まってしまうような気がする。 本作は、アントニオーニ監督の「愛の不毛三部作」と言われる一本だ。日本では1962年に「情事」「夜」を含めて三作が全部公開された。難解な映画だが、日本ではドロン主演ということで大ヒットしたという。映画館から出てきた観客が、喫茶店でタバコをふかしながら「お前、この映画分かったか?」「うーん、現代人の孤独を描いた作品じゃないかな?題名も“ひとりぼっち”だし」なんて会話をしている場面が思い浮かぶ。 邦題は「太陽がいっぱい」に影響を受けたのだろうが、原題は「日蝕」を意味する。心にぽっかりと穴が開いているさまを表しているのだろう。1962年のカンヌ映画祭では審査員特別賞を受賞している(今年、是枝裕和監督の「そして父になる」が受賞して話題になった)。審査員も「よく分からんが、人間の深いところを突いた映画かも」と感じたのかも知れない。 証券ディーラーのピエロを演じるアラン・ドロンは、輝くばかりの美青年である。ビットリアとは対照的に、忙しくすることで生きがいを感じている様子だ。群衆の渦巻く証券取引所で「手差し」で約定を取り付けたり、顧客や他市場に電話をかけたりする、溌剌とした動きには若さがあふれている。後年の、犯罪者役が似合う陰のある表情とは対照的だ。 当時の世界情勢を想像してみると、第二次世界大戦の傷跡は一見遠くに去り、世の中に平和が戻ったように見える。だが世界は冷戦による核開発競争という新たな火種を抱えている。変わらない日々が続いていくように見えるけれども、ぼんやりした得体の知れない不安に覆われている。このような映画が生まれる下地があったのだろう。1960年にローマ・オリンピックがあり、祭りが終わった後の虚脱感みたいなものも漂っているのかも知れない。 映画の主な舞台となるのが、ローマ郊外の新興住宅地である。東京でいうと高島平団地や多摩ニュータウンみたいなものか。広々とした空き地が広がる丘陵地、奇妙な存在感を放つ給水塔、新興住宅地の割にはひび割れた道路、人影のまばらな道路を横断する乳母車、ドラム缶に溜まった水に漂う木切れ、風でうなり声をあげるポール、などが印象的に映し出される。これが何を象徴しているのかは、観る人の感性に任されているのだろう。 映画を観て感心したのが、家の中の調度品のデザイン(ビットリアの部屋の電気スタンドなど)が、現在の目で見ても洗練されていること。部屋にこれでもかとばかりに絵が飾られていること。ケニア生まれの友人マルタの部屋に飾られた、アフリカ人女性の写真のカッコ良さ。このあたりの趣味の良さはさすが文化大国イタリア、という感じだ。 多くの一般投資家も参加する証券取引所の活気ある風景は、貴重な時代資料であろう。当時の株式ボードは電光掲示板ではなく、人力で切り替わる形式らしい。株式相場の暴落によって大損した投資家が、呆然と紙切れに花の絵を描いているシーン、投資家が「政府の陰謀だ」と騒ぐシーンは、いつの時代も繰り返される人間の性(さが)みたいなものか。 「そして日々は変わりなく続く」みたいな感じで映画は終わる。ピンとこない場面も多かったので私的評価は★4つとなったが、こういう思索的な映画に付き合ってみるのも悪くないなと思った。

  • nar********

    4.0

    愛についての禅問答

    ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「太陽はひとりぼっち」、いやぁ・・・・難解な作品でした。アントニオーニ監督の「愛についての禅問答」に疲れました。モニカ・ヴィッティとアラン・ドロンが手をからませ、抱き合い、キスをする。しかし、愛を確かめ合う行為なのにそう見えない。二人が愛し合う姿を映しても、二人の距離は遠い。一緒にいても孤独なのだ。それがモニカの表情にまざまざと映る。「愛」は、手の届かないもの・・・・。最後の二人の別れを示唆する数分間のシークエンスは、鳥肌ものです。

  • dam********

    5.0

    ネタバレ「心の蝕」

    このレビューにはネタバレが含まれています。
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