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笛吹川

笛吹川

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5.0

無機質と諸行無常の違い

1960年。木下恵介監督。深沢七郎の原作の映画化。甲斐の武田家の信玄を中心とした時代に、笛吹川の橋のたもとに住む農民一家(メインは田村高広と高峰秀子の夫婦)がまきこまれる戦争と復讐を描く。モノクロを基調としながらもセピア色だったり、一部カラーだったりと実験的な画面になっています。しかし原作が持っている突き放した冷たい無機質な感じが、単なる諸行無常と戦争反対の一筋の流れになっているようなのは残念な限りです。たぶんそれは、映画を一貫しているカメラワークや編集に物質的な無機質さが足りないのが原因らしい。なめらかすぎるのです。 武田家の系譜(信玄の誕生からいくつもの戦争、武田家の滅亡まで)と農民一家の系譜(誕生と死)がかけ離れながらもシンクロしている様子が、息子たちが次々と戦争に出て行くことや同時に生まれる子どもなどで表現されています。いわば、大文字の歴史と庶民の歴史が交じり合う様子が描かれる。それが画面に何度もでてくる「橋」で象徴されています。大きな歴史的な動きを農家に伝えるためになんども通られる橋。他のセットにまったくリアリティがないのに較べてこの橋だけに存在感がある。 二つの系列が最後にひとつになるのは映画の鉄則でもあるのですが、しかしひとつになる仕方が不自然に見えてしまう。どうしてこの農民一家の身内はここまで武田家と関係していくのでしょうか。原作ではもうすこし武田家との関係に驚きがあったような気がするのですが、この映画では驚きがまるでない。当然のごとく小さな庶民史と大きな歴史が関係しているように見えてきます。たぶんそれは物語内容の問題ではなく、映画的な手法の問題なのだと思います。高峰秀子の方言、老けメイク、びっこ、がとてもわざとらしく見えてしまうのも、映画全体の配列がまともすぎるからのような気がします。

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