ここから本文です

伊豆の踊子 (1963)

監督
西河克己
  • みたいムービー 6
  • みたログ 153

3.43 / 評価:47件

思っちゃったんだからしょうがない。

  • sou******** さん
  • 2019年2月19日 18時40分
  • 閲覧数 333
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

爆笑問題のラジオのコーナーで「思っちゃったんだからしょうがない」ってやつがあった。最近は聴いてないので、過去形で…。

何を思っちゃったのか?

なんて、アフロ田中的なのだ…って事。

あの漫画って、青年男子が妄想と性欲に翻弄される姿を描くのだが…。

人間の「人を好きになる気持ち」の本音の本音を探っていけば、恋心、愛、独占欲、性欲、いろんなものが入り乱れていて、突き詰めれば突き詰めるほど滑稽で、ぐちゃぐちゃで、愚かで、だってしょうがないんだもん…だと思うのだ。そもそもコントロール出来る間って、本気なのか?と自分に問いかけると、天使と悪魔が両方で囁くのにも似て…。なかなか、バカボンのパパのように「これで良いのだ!」とはいかない。
こんな感情を美しい文章に載せると川端康成になるのだろう。

これを映画化にしてしまうと…

本で読んで頭に作り上げていた光景がビジュアルとして目の前に現れて…

んん〜?なんだか若気のオモロイ部分がはみ出てるぞ!となってくる。
何度となく、若気のオモロイ部分を見ていたら…

アフロ田中に似ている事に気付く。結局、男って…なのだ。

好きな女が他の男に…と思うと苦しくてタマランのである。その感情は、自分が好きな女と良い感じの時、他の男が抱えてる問題かもしれないが知ったこっちゃない。

でも、好きな娘とヤリたい部分って、好きだから故のオブラートを何重も重ねて隠し続けるわけ。
そして、美しい言葉で作ったオブラートが文学になり、滑稽な我慢と辛抱を笑いにしたオブラートで包めばアフロ田中になるだけなんだと思う。
なんだかんだで、辿る道は違えど行き着く場所は同じなんだもんなぁ…。人間ってオモシロイ。

長くなったが、書生さんの寝ぼけた姿のシーンを観て、そう思わずにいられなかった。「ぬぬぬぅぅぅ、俺の好きな吉永小百合にぃぃっ!」と目覚めてしまう。
これは若さゆえかもしれない。おっさんも極まって、酸いも甘いも知ってしまえば、この夢の続きもちょっとだけ覗きたくなる。ピーピングですなぁ…。
うむ。若さって素敵である。

さて、書生くん。そして永遠の美女、旅芸人の娘の薫こと吉永小百合様。生きる為に身を売る年上の女の姿をそれぞれの視点で見つめながら、迫り来る将来に胸を痛めるのである。

うむ。文学にすれば美しいが、日本中の歓楽街のご近所で、同伴の風景に1%くらい混じってるアレと同じである。
一緒になれないから恋い焦がれるのであって、一緒になれば屁の匂いすら共有するわけ…。まぁ、それはそれで素敵な事ですが…。

チューも出来ずに、遠目に映る相手を見つけて手を振るだけ。ハリウッド観過ぎたら、あまりにも奥手で行動力にかけるのですが、なんとも味わい深い別れ。屁の匂いを嗅ぎ合わないからこそ、初恋は甘美で甘い香りのままなのかもしれない。薫なだけに?

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 切ない
  • かわいい
このレビューは役に立ちましたか?
利用規約に違反している投稿を見つけたら、次のボタンから報告できます。 違反報告
本文はここま>
でです このページの先頭へ