ここから本文です

仇討 (1964)

監督
今井正
  • みたいムービー 8
  • みたログ 53

4.15 / 評価:13件

仇討であって仇討でなく・・・

  • joyjoymovie さん
  • 2011年7月29日 6時37分
  • 閲覧数 935
  • 役立ち度 8
    • 総合評価
    • ★★★★★

これは仇討に名を借りた公開処刑。

ある藩での出来事。
馬廻り役江崎十兵衛(田村高廣)の弟、江崎新八(中村錦之助)は城の武器倉前で武具の手入れをしていた。
毎月五の日は無役の部屋住みの者も登城して武具の手入れをする決まりだった。

そこに通りかかった奏者番奥野孫太夫(神山繁)。
立て掛けてあった槍の鞘を払い、「天下泰平よのう。槍の穂先が曇っておるわ。馬廻りも少しのんびりに過ぎる」と言った事から口論が始まる。

言い分は江崎新八に分があるが、奥野は江崎の家の部屋住み風情に口ごたえされたのが面白くない。
後で果たし状を渡すのだが、新八が勝ってしまう。

事勿れ主義の目付は家老と図って、乱心した奥野孫太夫と乱心した江崎新八が私闘を行ったという事にして、江崎新八を城下三里四方所払いにするだけで双方の家へのお咎めを最小限にした。

しかし、孫太夫の弟で、新陰流を使っては藩内随一の使い手の奥野主馬(丹波哲郎)は奥野の家の家督を継いだだけでは納得が行かず、江崎新八を討ちに出掛ける。
これも退けた新八に、藩としても黙っているわけに行かなくなる。

奥野の末弟、辰之助(石立鉄男)を意趣人として、公開仇討を開くのだが・・・。


「仇討」は日本人なら誰でも知っている昔の武家の制度で時代劇にはよく出てくるが、ここまで正面から「仇討」そのものを描いた映画は無い。
傑作である。

仇討という制度そのものが事情によっては、それほど人の道に外れたものだとは思わない。
しかし、それが許される運用に問題がある。
何故か『それでも僕はやってない』を思い出した。
痴漢は捕まえて罰すべきだが、疑われた者を全て痴漢犯罪者扱いにしてしまう運用には納得が行かない。
そこに仇討制度の運用と同じものを見たせいだろう。

藩の目付がしっかりとした裁定を下していれば、こんな悲劇は生まれなかった。
せめて、仇討を並ぶ武家の制度、喧嘩両成敗を適用しておけば新八も追い込まれなかった。
辰之助に討たれる覚悟で公開仇討場に望んだ新八の気持ちを踏みにじる助太刀6人、何ともやりきれない思いをさせられる。

侍の不条理さとそれに起因する人間としての極限状態を演じさせたら、中村錦之助の右に出る者は居ない。
萬屋錦之介としての後のTV版『子連れ狼』にも通じる。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 恐怖
  • 知的
  • 絶望的
  • 切ない
このレビューは役に立ちましたか?
利用規約に違反している投稿を見つけたら、次のボタンから報告できます。 違反報告
本文はここま>
でです このページの先頭へ