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帰って来たヨッパライ (1968)

監督
大島渚
  • みたいムービー 4
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2.78 / 評価:9件

団塊世代へ大島の直球勝負やいかに?

  • 真木森 さん
  • 2008年6月23日 0時30分
  • 閲覧数 721
  • 役立ち度 10
    • 総合評価
    • ★★★★★

 大島渚の映画で創造社時代の作品はそう簡単に見られなくなっている現状があります。この作品にしてもあのフォーククルセイダースのメガヒット曲をタイトルにして有名になっていてもおかしくないのですが、はっきり言ってまったく映画史から消え去った作品で、大島渚のフィルモグラフィーの中でも低い位置にあります。私にしても『日本春歌考』や『儀式』が見たくてビデオショップをハシゴして探していた時に「あれっ、こんな作品を撮っていたんだ」「この背表紙に載っている女性ってもしや緑魔子? 古い作品だから初々しいなあ」と発見して、借りてきたはいいもののほとんど理解不能で、しかもとびとびに見たために作品自体がとびとびなために更に分からなくなって、「『忍者武芸帳』と同じく当時の若者文化にうまく乗った企画だったんだろうなあ。だから本腰入れて撮ったんじゃないんだろうなあ」なんて初めて見た時には否定的な感想を抱いたものです。
 しかしこの作品が作られた1968年は私が生まれた年。一般的には東大安田講堂陥落と3億円事件の年です。でもこの年はそんな公式的な切り口では決して語ることのできない、熱く激しく刺激的でそして豊饒かつ混沌とした年でした。私も自分自身のルーツを知るために色々な文献をむさぼるように読み始めました。そしてフォーククルセイダースの斬新さを再発見したのです。そもそもかの名高いオリコンチャートはこの年に始まり、その栄えある第1回目の1位はこの“帰ってきたヨッパライ”でした。3人は本来プロになる予定などなく、解散記念にアルバムを自主制作しその中の1曲が当時始まったばかりの「オールナイトニッポン」でヘビーローテーションになってこれだけ売れたということ、東芝レコードが彼らを改めてデビューさせるために後からはしだのりひこが参入したこと(原メンバーの平沼義男はプロになることを厳として拒んだ)、そして何とこの1968年のうちに解散してしまったのです。半ば悪ノリで作った曲の制作過程も彼らの芸能活動同様軽やかなものでした。それは楽天的なアナーキズム。日大闘争、『ねじ式』、唐十郎の状況劇場は新宿花園神社のテントで公演を続け、タレント議員の青島幸夫や石原慎太郎が初当選し、東大駒場祭では橋本治コピーの「とめてくれるなおっかさん」が話題になり…。
 この映画も本来はR.レスターが撮った破天荒なビートルズ映画の線を狙ってレコード会社が大島渚に託したものでしょう。実際東芝レコードでは彼らを「日本のビートルズ」たるべく“帰ってきたヨッパライ”の後に叙情的な“悲しくてやりきれない”を出して「“Yesterday”のようなメロディアスなものもいけるんだ」と戦略を立てた訳です(“イムジン河”は朝鮮総連からクレームがきてお蔵入り)。しかしそこは大島渚。アイドル映画どこ吹く風で自分のやりたいことをやり、しかもそれは余りにもストレートな朝鮮問題への問いかけ。「あなたは何人ですか?」と該当の人たちにインタビューする風を装いながら、出てくる人は『絞死刑』のRだったり最後には大島自身が回答したり。フォークルの3人は最初はビートルズよろしくトラッドな服を着ていますが海辺で海水浴をするうちに朝鮮亡命者に服を取られて自分たちが亡命者であるかのように強要されます(このベトナムに行きたくないから日本を通じて亡命するというシチュエーションは、当時ベ平連が米軍人に対して草の根的にやっていたことを暗示させます)。難解だなんてとんでもない! 大島は「日本人と朝鮮人を分けているものは服装だとかそういう外面的なものではない。そんなものは取り替え可能で全くナンセンスなのだ」「両者を分かつもの、それは『理屈では説明の付かない深い血のつながり』であり、そして血を流さなくなって久しい現代日本人にはその違いは分かろうはずがないのだ」と真っ向から語ります。そして消費を美徳とする当代の日本人にフォークルの3名を重ね合わせ、最後列車の外にベトナムのむごい現実を書き割りで流して、あたかも『絞死刑』のラストでRに光り輝く「社会」というものを見せつけたのと同じように彼らに現実世界の光を浴びせて終わります。
 そう考えるとこの映画、第一次安保世代の大島が団塊世代に抱いている感情は随分悪意があるように見えます。それまで大島組は旧インテリ左翼が次の世代に突き上げられる映画ばかり撮ってきたのに、更に次の世代の屈託のなさには辟易していたという感じでしょうか。その傾向は『夏の妹』で頂点に達し、とうとう創造社を解散してしまう。大島にしてからがカウンターカルチャーの前では乗り越えられてしまう対象でした。そこに誠意を持って対応しようとした大島の生真面目さが十二分にうかがえる映画となっております。作家の手すさびではありません。戦闘する映画監督大島渚も敵が見えないもどかしさの中にいたのです。

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