星由里子か藤純子か
- kinchan3 さん
- 2016年10月28日 14時25分
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昨日、観光ボランティアの見学で遊覧船で港に出た。
長良川のボートだったらしくて、やたら波に弱くて怖かった。
でも、妻にコンテナのガントリークレーンの様子を間近で説明できた。
昔の波止場は労働集約型産業だった。
つまり、船荷の出し入れに多くの人手が必要だった。
コンテナ船は革命的で、嵐の中でも夜でも荷役ができた。
だから、波止場にはこうしたヤクザがのさばり、マーロン・ブランドの出ている『波止場』みたいな映画ができた。
ヤクザがいれば、博打もある。
BBCの「戦争と平和」でも博打で家屋を失う回があった。
ということで、壺振りの藤純子はきれいだ。
小倉出身の女友だちが『花と龍』にはまっていたのを思い出した。
この舞台は戸畑になっていて、親近感もあっただろう。
結局、都議選にも出ることになる女性なのだが、こんな映画で仁義を学んでいったのだろう。
星由里子をこんな役で使うのはもったいない気がするが、どうなんだろう。
今の若い人はこの時代の映画を観て理解できるのだろうか?
日本酒を飲んで酔っ払ってみんなで歌を歌うなんて、今では考えられもしない。
それにしても、喧嘩が多い。
喧嘩の経済学があれば、どれだけ無駄かわかりそうなものだが、分からないものらしい。
任侠映画はいつまで観られるのだろうか。
最近、落語が見直されているそうで、NHKは映像付きでやり始めた。
出て来るものがみんな分からないのだ。
急須(読めない人も増えてきた)を使ったことのない若者も多いらしいので、急須の先のビニールは配達用で取らなきゃいけないことを知らない人が増えているという。
この映画でもライターが喧嘩の原因となって、物語の中心の話題になる。
しかし、「男は黙ってサッポロビール」ではないけれど、どうして女性がプロポーズしなければならないのか。後に寅さん『知床慕情』では三船敏郎がやっとのことでプロポーズする場面がある。
我慢して我慢してついに行動を起こすという任侠映画は古典芸能になって、映画もマニアだけのものになるのかもしれない。そんなことを考えて観ていてはダメなのだが。
「黒田節」を藤純子が歌って、高倉健が舞う場面は日本侠客映画の中でも最高峰の方なのだろう(何しろ、女友だちよりも詳しくないので分からないが)。
それにしても、こんな映画ばかり撮っていた人が文化勲章だ。
ヤクザ映画ばかり撮っていた北野武に文化勲章を出せ、レジオン・ドヌールをもらっているから、という話が出ている。
その前は黒澤だったから、日本文化は侍と任侠とヤクザしかないのか、と思われる。
「菊は奥さん」なんて!?
観光ボランティアの方は僕がやらなくても、やりたくて仕方がない人がいっぱいいることがわかったので、止めた。
1日費やしても1回1000円だという。
金沢城では無料の観光ボランティアがいるという。
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