大怪作
- bar***** さん
- 2017年12月4日 17時06分
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書を捨てよ街へ出よう。
うーん……なんか好きになってしまった。
その理由を説明しようとすると……うまく言葉にできない。
制作者の素直な気持ちが伝わってきたから、というのが一番正しい理由だと思う。
素直? この挑発的な表現で?
挑発的などではなく、告白的な表現だと思う。彼は自分を偽ろうとしていないし、自分を戯画化して口当たりを良くしようとも思っていない。
そういう気配があれば私はすぐに分かる。
キャラクターや表現法は独創的だが、ひとかけらも破綻していない。場面はすべて調和されており、美しい刺激に満ちている。
彼はたくさんの暗喩を使っているが、それで何かを伝えようとしているわけではなくて、単に詩情の表現のための材料としているようなフシがある。彼が伝えたいのは悲劇でも喜劇でもなくて、その混沌とした生の現実性(主観的なものとして)だと思う。
彼は少しも芸術のことなんて考えていないのに芸術を作っている。それは本物の芸術である。まるでピカソだ。人物や描写が大崩壊しているように見えるのに調和している。この「調和性」は本物の芸術家なら必ず持っている能力だ。その冴えた感覚は、ニーチェのように深い深い世界の核心をえぐり取って、暗い底の底を見通すことができる。そこは神秘的な世界であって、俗世に生きる人間には理解できないが、虚心な人間なら必ず理解する。
『田園に死す』も実に素晴らしい寺山ワールドで、あっちも好きだが、こっちもとてもいい映画だと思う。
ただ、確かに好き嫌い別れる映画だとは思う(^_^;) 友達には勧めにくいな……。
ただ、それでもこの映画に出会えてよかったと思うし、ひそかに私はこの映画を宝物だと思うようにする……。
※もしどうも理解できないという方がいるならば、あまり難しく表現の意味を考えたりしない方がいいとアドバイスしておきます。私哲学の本も読みますが、何を言っているかさっぱりわかりませんw シュルレアリスムとも違うと思いますし、映画を愛して映画をけなす、というように表面的に矛盾した発言をするのがこの映画です。ですがポーズは一つもないと思います。ありのままを受け入れれば、寺山氏の人間性に触れられると思いますヨ……。
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- 恐怖
- 知的
- 絶望的
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