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チェイサー (1978)

MORT D'UN POURRI/DEATH OF A CORRUPT MAN/THE TWISTED DETECTIVE

監督
ジョルジュ・ロートネル
  • みたいムービー 4
  • みたログ 97

2.95 / 評価:22件

アラン・ドロンって、かっこいい…

  • ナイスルール さん
  • 2012年5月28日 13時37分
  • 役立ち度 7
    • 総合評価
    • ★★★★★

作品名は忘れたが、中学生の頃に読んだ小説をふと思い出した。
真夜中に、ある貴族の屋敷に彼の親友の貴族が突然訪ねてくる。すると、その貴族は左手に金貨の詰まった革袋、右手に剣を持ちながら階段を駆け下りて友人を出迎えるのだ。
訪ねてきた友人が、なぜそんな恰好で出迎えるのかを問うと、その貴族は「君がこんな深夜に私を思い出して訪ねて来てくれたなら、その理由は、君の名誉を守る為、急に大金が必要になったか、誰かと決闘する為の助太刀を求めての事だとおもったのさ」と答え「ところで君は、どっちの理由で来たんだい」と尋ねると、その友人は「実は家で寝ていると、君が叫んでいる夢を見たんだ。だから、きっと君が困っているに違いないと思って駆けつけたんだよ」
男達の究極の友情とは、だぶん、こういうことなんだろう。

20代のド真ん中を行く小娘の私にとって、アラン・ドロンなる人物は、柑橘系のやや抑えた香りが特徴の男性用の香水・サムライのプロデューサーとしての方が馴染みが深いはずなのだが、我が愛すべき映画フリークの父が遺したビデオやLDの数々によって、フランスのフィルムノワールの傑出した俳優の一人であるという認識の方が遥かに強い。
彼の出演作の中では、『太陽がいっぱい』『太陽はひとりぼっち』『冒険者たち』のような、美男子だが若くて、どこか背伸びしている危なっかしさが“売り”の映画よりも、私はむしろ、ジャン・ギャバンやリノ・バンチュラやイヴ・モンタンらと共演した作品での陰影のある役柄を素晴らしいと思う。
そして『レッド・サン』や『ボルサリーノ2』『ル・ジタン』『愛人関係』、そして明るく振る舞うものの精神の奥底にある影を隠す事のできない『フリック・ストーリー』や『ゾロ』などの、一般人を遥かに超えたところに君臨する“かっこよさ”を前面に出した作品群には、言葉を失ってしまう。
更には『サムライ』(『ラスト・ターゲット』なる作品でジョージ・クルーニーが同じような殺し屋の役を演じていたが、たとえ舞台を陰影の深い欧州の地にもってきても、ドロンの醸し出す精神の陰の深さには到底及ばなかった)、『ビッグ・ガン』『スコルピオ』等々の殺し屋シリーズは、かっこよさの上に凄絶さと冷淡さまでが乗っかって、その眼差しを傍らの私に向けてくれて、少しだけ、その目で微笑んでくれるなら、「私は貴方の為に地獄の底までも堕ちてみせる」なんてセリフを恥ずかしげも無く叫ぶことができる気がする。
アラン・ドロンが私にとって、かくも印象深く心に残る俳優である理由の一つには、彼自身の持つ危なっかしさがフランス映画独特の少し暗めの映像の中で増幅されて、「この作品では彼は最後に生き残っているのかしら?」と、ほんとうにハラハラしながら見てしまう事からきている。
アラン・ドロンが主役だと、たとえ『ゾロ』でも、スペインの明るい陽光の下で、最後に信頼していた仲間の銃弾に倒れるのではないかという一抹の不安が付きまとってしまう。
だからこそ、圧倒的な不死身さを身に纏い、画面に登場するだけで「彼が出てくれば大丈夫」などという理不尽な安心感を観客に抱かせてしまうハリウッド・スターとは全く違う人間臭い魅力があるのだ。
本作『チェイサー』も、そういった“危なっかしさ”を最後の最後までチラチラと意識的に見せつけながら、どこか能天気なフランスの悪人や黒幕、そして、出てきただけで「こいつ、心臓を杭で貫いても死なないんじゃないか」と本気で思わせるクラウス・キンスキー演じる巨悪のドイツ人たちと、まるで綱渡りするかのようにして戦う主人公を演じており、こういった役柄は彼をおいて他に演じられる者はおるまいという感を強く持つのである。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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