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アルジェの戦い (1966)

LA BATTAGLIA DI ALGERI/LA BATAILLE D'ALGER/THE BATTLE OF ALGIERS

監督
ジッロ・ポンテコルヴォ
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4.28 / 評価:79件

自由のための戦いとは

  • 文芸サロン さん
  • 2016年10月20日 18時08分
  • 閲覧数 967
  • 役立ち度 6
    • 総合評価
    • ★★★★★

 本作を監督したジッロ・ポンテコルヴォはイタリア人であり、ユダヤ系でもあった。大戦当時、母国イタリアはファシズムが台頭し、ムッソリーニ政権はヒトラーと手を組んだ。(日独伊三国同盟を結成した)
 イタリア人の統治能力を信じていなかったのか、ヒトラーはイタリアにもドイツ軍を進駐させている。この経過については「コレリ大尉のマンドリン」や「ライフ・イズ・ビューティフル」を見ればよくわかる。
 当然被差別人種となったポンテコルヴォは、ナチと戦うレジスタンスに加わる。戦後イタリア映画を席巻した、素人か無名俳優を起用してドキュメント映画並みのリアリズムで仕上げる「イタリア・ネオリアリスモ」の映画人の多くはレジスタンス経験があるが、その弱者のドラマという視点はたぶん反ファッショの戦いの中で培われたものであろう。
 本作は1962年、フランスの植民地だったアルジェリアの独立革命を描いている。そもそも半世紀前まで、植民地が普通に存在していた時代にわれわれが生きている。自由だ、何だといっても、ほんの少し前の時代を除けば帝国主義社会が厳然として存在していたのである。
 しかも映画が制作されたのは、独立からわずか5年後のことというのも更なる驚きである。当時としてはかなりホットな題材だったに違いなく、フランスが明確な悪役として位置づけられたことでヴェネチア映画祭の上映では、フランソワ・トリュフォーを除く全フランス人映画関係者が途中退場したというのも納得できる内容である。
 本作には権威・権力の輩が徹底的に批判されている。映画ではアルジェリア解放組織が、フランス人相手にテロ活動をしかける。今日、イスラム過激派のテロは悪の象徴のように見られている。しかし本作におけるテロの意味は全く別物だ。映画は自由のための戦いの一手段として、認めているからである。
 だが本作の根底にあるのは、監督のレジスタンス時代の抵抗意識であろう。その意識が、アルジェリア人たちの独立への戦いに強く感応したのである。だから映画は強い怒りと、自由への希求とを常に湛え限りなく強い熱気を放っているのである。
 それにレジスタンスだとて、所詮はテロ行為にほかならない。ただたまたま戦いに勝った側の行動であったから、尊ばれているのだ。
 自由を得るには、時に戦わなければならない。そして戦いとはとどのつまりが敵との殺し合いなのだ。そんな強烈な現実認識から、映画はアルジェ独立をさながらドキュメンタリー映画のように迫力満点に描く。
 ラストは革命に立ち上がった民衆の映像である。最後のカットは、アルジェリアの国旗を掲げるアルジェリア人女性の姿なのだ。まるでドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」を思わせて、革命本家のフランス人の心を揺すぶっているようにも思える。

詳細評価

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音楽

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