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牧野物語 養蚕篇-映画のための映画-

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3.0

ネタバレ

 「三里塚」シリーズにおける‘失敗’は、所詮農民にとって撮影チームは‘よそ者’だったということにつきるだろう。だから監督は自分たちが1974年の秋、山形県上山市牧野に移り住んで農民として暮らすことで改めて‘協調’を模索し始めたのだと思う。  1975年制作の『どっこい!人間節ー寿・自由労働者の街』において、年末に引ったくりに遭って怪我もした自分の身の回りの世話をしてくれた役人に対するある労働者の「この恩は忘れない」という言葉でラストを閉められたことは、監督に農民と‘権力者’の協調の可能性にも確信を与えたと思う。  そしてその農作業に関する最初となる作品が米ではなく、強さと柔らかさの両方のイメージを持つ絹を作る養蚕業というところが小川紳介の特異なところなのだ。

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