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復讐するは我にあり (1979)

監督
今村昌平
  • みたいムービー 119
  • みたログ 765

4.24 / 評価:312件

by 偽kamiyawar(知恵袋)

  • ese***** さん
  • 2019年4月9日 10時44分
  • 閲覧数 731
  • 役立ち度 0
    • 総合評価
    • ★★★★★

聖書って文学だから。
西洋が世界支配をした、ということは文学によって導かれた巨大な力を得たからに他ならない。
それに気付いたからこそ、日本は植民地化を免れたと言っても過言では無い。
他の植民地では文学が隆盛しなかったからダメだった、ということ。

この映画の原作は佐木隆三の有名な作品だけど、実在の連続殺人鬼をモデルに描かれている。作者がこの殺人鬼の異常性というものを、現代社会に潜む虚偽と暗黒に求めたことから、この題名が付けられたんですね。

殺人鬼・榎津巌は、敬虔なクリスチャンの牧師の父親によってキリスト教的な道徳観、教育を受けて育てられた。
しかしその父親の言動の下に、榎津は薄汚い虚偽を見抜いたんですね。だから父親によって教育を受ければ受けるほど、その汚わいが榎津の中に堆積して行った。それがあの冷酷な連続殺人となったんですよ。

そしてあの犯罪行為が、父親への愛憎であった、ということなんです。
そういう本質を見抜いた佐木が、この題名を付けたわけ。だから非常に文学的な題名と言っていいんですよ。
つまり、父親を愛しながら、自分に汚い虚偽を植え付けようとしたことへの反発であった、ということ。一種の復讐なんです。だから「復讐するは我にあり」という聖書の言葉を引用し、あの陰惨な事件を深い悲しみでもって否定したい、という作者の祈りが込められている、ということ。

でも、この言葉自体をどのように取るのかは、また別な話です。言葉って相対的なものですから。文学的なものになるのかどうかは、状況による、ということです。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

イメージワード

  • 悲しい
  • 恐怖
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