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わが青春のイレブン (1979)

監督
降旗康男
  • みたいムービー 1
  • みたログ 4

3.00 / 評価:5件

この映画の意味するところ

  • sdg***** さん
  • 2019年7月18日 1時27分
  • 閲覧数 109
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    • 総合評価
    • ★★★★★

この映画は昭和54年公開の映画だそうだが、こんな映画が映画館で公開されていたことなど私は全く記憶にない。でも、仮に私が当時乏しい小遣い銭を貯めてこの映画の題名や映画のあらましを事前に雑誌でチェックした上で、映画館でこの映画を見たとしても、私は当時「何が青春なのか」なんてさっぱりわかっていなかったから、この映画が表現したいことがわからなかったのはもちろん、映画を見終わった時にただやるせない不快感だけが残り、何か損をしたような気持ちになっていたのではないかという気がする。しかし逆に、「プロセス」や「過程」を重要視し、その反省からしか求める結果など出ないしことを知っている人や、また実際そうやって実績を挙げた経験が今までの人生にある人がこの映画を見たら、映画の結末はどうあれ「そこへ向かっているんだ」という軸のようなものがはっきりしている矢吹のその後の人生は、しっかりしたものになっただろうなと思えたのではないだろうか。

ところで、見てみて懐かしさもあったが、タイムマシンに乗って少しだけ当時の世に旅行できたようなそんな心地でいられた。しかし、この映画では同時に、現在では多少改善されたとはいえ、当時から今にまで至る部活の異常なまでの根性論も当時そのままに描かれている。腰をただ痛めることにしかならないというのに、「うさぎ跳び」が「筋力トレーニング」の一つとして広く認識され全国の部活で横行していた時代だった。それでも顧問や監督や上級生に「やれ」と言われれば部員のこっちはやらざるを得ない、そんな独裁と横暴がまかり通っていた時代だった。そしてその独裁や横暴、酷い場合となると暴虐さは今も事件でニュースになるくらいだから今でもしぶとく部活の現場にはびこっているのだろう。そんな現実に、部員や生徒の人権と尊厳が守られることを訴えずにはいられない。でも、この映画では主人公・矢吹(永島敏行)が、そんな理不尽さに対して個人としての意見を持つことの尊さや精神的成長、それから人格的・精神的覚醒を表現していて、また、民主性とは対極にある学校現場の専横性を、表現は穏やかだがはっきり糾弾している。誰のための学校なんだろうか。映画公開昭和54当時の私と今の私。年齢によってこうも見る角度が変わるものかと実感させられた。

詳細評価

物語
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演出
映像
音楽

イメージワード

  • 切ない
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