もう頬づえはつかない
3.7

/ 49

12%
57%
22%
4%
4%
作品情報上映スケジュールレビュー

あらすじ・解説

解説:allcinema(外部リンク)

本編配信

スマートフォンご利用の方はアプリから視聴できます。

作品レビュー(10件)

切ない30.0%知的25.0%かっこいい10.0%セクシー10.0%悲しい5.0%

  • mnk********

    5.0

    桃井かおり×東陽一

    東陽一監督作品。桃井かおり主演。 音楽田中未知。 主題歌は作詞寺山修司、作曲田中未知、編曲 J.A.シーザー。(劇団天井桟敷の面々!) もうこの方々の印象が強すぎる名作。 (僕のなかでは名作なのですが話は評価され なくても異論はありません。) 東陽一監督の雰囲気が好きで。 特に70年80年代は女性が主人公の映画が多く、 もやもや~としている感じが、なんだか共感 できるような。 空気感が日常を帯びているというか。 特にこの作品は桃井かおりさんの演技がぴったり で他者は考えられないくらいのフィット。 (先日テレビの対談番組で桃井さんが『どうやって 日本の芸能界から消えようか。何をやっても私は 桃井かおりのままだから。』と自虐したことを 言っていた。 でも、そうだ。 何をやっても桃井かおりなのは本当のことだ。 でも、そこがいいのである。 桃井かおりにカメレオン演技なんて求めては いない。 桃井かおりが観たいのである。) 公開当時は女性が翔んでいるともてはやされた 時代。 この映画もそんな女性の自立を謳った、と されて、そんな気分で観ていましたが、 歳を重ね観返すと、なんてことはない本命の男と 別れた話、にすぎない。 時代背景は違えども、男も女も勝手なのは変わら ない、のである。

  • tam********

    5.0

    女優桃井かおり

    喜劇の雄、前田陽一と自主映画の星、東陽一の作品を同じ小屋で見れるのは二番館ならではの特典だろう。 くわえて2作品とも桃井かおり主演というおまけつきである。 前田陽一《神様がくれた赤ん坊》のかおりと、山田洋次寅さんのかおりがぶつかるため、前田版が一年間延期になった結果、東陽一のかおりと並んだ皮肉に一人ニンマリしている。 当人の「かおり」は両陽一監督作品のなかで見事に役者の花を咲かせているのだから、ダブルに皮肉なものである。 所詮寅さんのマドンナの納まる器ではなかったのだろう。 本作品は《サード》で数々の賞を獲得した東陽一監督の受賞後第一作であり、ファン待望のシネマだった。 原作も見延典子のベストセラー、主演女優のオーディションも賑やか、ATGとしても異例のパブリシティ攻勢があったりで、前評判は上々だった。 しかし、主演に桃井かおりが決定した時点で、僕はおおかたの興味を失ってしまった。 この心理は複雑である。 《サード》の新鮮な感動とは裏腹な興業的不振、報われなかった東監督への同情。 次回作こそ・・・との熱い期待を持っていた一年間だった。 ベストセラー原作はまだ許せるとしても、あの桃井かおり起用にはガッカリした。 つまるところ僕の中では、東作品と桃井かおりは、決して相受け入れられないものだとの思い込みがあった。 決して根拠のない独りよがりではないと今でも思っている。 僕の「桃井かおり観」を述べると《不真面目》の一言である。役者としての素質はともかく演技に対する姿勢(恐ろしい言葉だが)が曖昧だし、シネマを愛する立場としては承服できない雰囲気があった。 そのうちに、彼女の言葉遣い、表情などが社会的ファッションとして受け入れられるにいたり、僕の抵抗も甲斐なく、桃井かおりとは彼女を無視することでかろうじて接点を保っていた。 一方彼女は日本人新種のごときイメージを相変らずメディアで振りまいていた。 そんなことで、とても東監督の新作を見る勇気がでなかった。 シネマファンの気持ちは、しかし、単純なもの、前田陽一《神様の・・・》のかおりはすごいらしいと聞くともう落ち着かない。 まずは《神様の・・・》のかおりをチェックしてみようと思ったのは当然のことだが、セットで《もう頬杖・・・》まで観ることができたのはただただラッキーとしかいいようがなかった。 《神様の・・・》で全く別人のような桃井かおり、本物の役者に出会って間をおかず、本作のマリ子に会った。 ここでも東陽一監督の桃井かおりに驚かされた。彼女は作品のなかにポンと放り出されている。 もしかしたら演技プランなんて打ち合わせてすらないように思われる。 事前に東監督から「KEIKO」を観ておくようにとの指示だけはあったそうだが、そのあたり監督の意図が想像できる。 つまり、このシネマでかおりは初めてマリ子になりきろうと努力している。 その限界点として「KEIKO」があらかじめ示されていたのではないだろうか? そうでなければ、あれほどマリ子役にほれ込んでいたかおりはその分演技が臭くなるだろうし、本来のかおりの演技は素のままであったことを計算した東監督は、かおりから本物の演技を引き出そうとした。 東監督の勝ちだった。 桃井かおりではない現代女子大生マリ子がスクリーンに息づいていた。 それは当然桃井かおり本人の素顔ではなく、といって計算しつくされた虚構の人間でもなった。 大学時代にある、特別どうということのない愛のスケッチは、桃井かおりという女優と東陽一監督によって、僕の感性にしっかりと描かれた。 記:1980年3月8日

  • ali********

    5.0

    懐かしい! 女性の従属から自立への途上期

    大学時代とその後、何度か見て懐かしい。故郷で公務員になった学生が彼女(桃井さん)を迎えに来て、実は自分の手紙を開けてもくれていないことを発見して、泣くシーン。フリーライターの男が、「俺の血筋は残したくない」と一見格好いい、実は無責任なセリフを吐いて、しかし彼女(桃井さん)はそれを超えるセリフを持っていたというシーン。当時の学生下宿の様子や、大学キャンパスの風景。のちに自死する伊丹十三さんも、とぼけた役で出ておられました。 ああ、懐かしい。 ただし、彼女は吹っ切れた様子なのだが、どのように自立するかがよく分からないラストになっています。今の映画なら、もっと具体的にそこを描くでしょう。たとえば、『阪急電車』や、二流映画だが『ガール』(★ともにレビューしています)のように。 しかし、この映画より前の「封建的な」日本では、女性はもっと男に従属する存在として描かれることが多かった。江戸時代でいえば、『華岡青洲の妻』★を見てください。昭和後記の歌謡曲で言えば、  「着てはもらえぬセーターを、涙こらえて編んでます」  「今か今かと気をもんで、あなた待つのも、松のーうーち」  「残された私はつれづれに、別れ歌今夜も口ずさむ」なのでした。 (もちろん、こうした歌詞は男性を喜ばせるための倒錯したものであったわけですが。)           それを考えると、まことに懐かしい、かつエポックメーキングな映画なのです。 1980年代になると、知られざる名作『の・ようなもの』★のように、女性は男性と対等になって、日本も「普通の先進国」に近づいていくのです。適度に自立していらっしゃる女性は、男にとって魅力的だし、頼りにも【笑い】なってありがたいものですね。

  • min********

    4.0

    原作の良さが伝わる作品です

    以前、かなりヤバイ三角関係やってて悩んでた女の子にこの作品の原作本をプレゼントした事があります。 そしたら更に悩んじゃってどうしようかと思いましたらしばらくして「あの本読んで最初はショックだったけど、今は良かったです」と連絡がありました。 桃井かおりさん演じるふたりの男と付き合ってる大学生・まり子 森本レオさん演じる30歳すぎの冴えないルポライター・恒雄 奥田瑛二さん演じるまり子と同棲してる大学生・橋本 自分の進む道に悩み考え込むまり子。 自分の歯ブラシを何の気もせずに橋本に使われ怒るまり子。 薬剤師になる夢を恒雄のためにあきらめたまり子。 この作品は最終的に女性の自立する姿を描いてます。 ただ、そこにたどり着くまでのなかなか先に進めないまり子を桃井かおりさんが彼女ならではの演技で魅せてくれてます。 彼女をあらわす時の「アンニュイ」と言う言葉がぴったりあてはまってると思います。 見延典子さんが大学の卒業論文として書かれた作品を東陽一監督が原作のイメージを壊さずに表現された作品です。 ただテーマに対して内容が少々重くてだるい部分も無きにしも非ずです。 基本的に女性向きかもしれません。 映画と原作本を交互に観賞されると良いかと思います。

  • agu********

    4.0

    桃井かおりの個性。

    以前から見たいと思っていた映画をやっとのことで dvdでレンタルし、鑑賞。 桃井かおりのキャラを考えると、大学生という設定は 非常に違和感を感じました。 大学教授であろうと、あのノリで話掛けそう・・・・。 男2人の間で揺れ動いていた彼女は、 最後に両者と別れ、もう頬杖をつくことなく、強く生きていく心を 持つことが出来たのだろうか。

スタッフ・キャスト

人名を選択するとYahoo!検索に移動します。


伊丹十三大家・高見沢
加茂さくら美容師・トキ子
伊佐美津江見習い・ユミ子
織本順吉まり子の父

基本情報


タイトル
もう頬づえはつかない

上映時間

製作国
日本

製作年度

公開日
-