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風の歌を聴け (1981)

監督
大森一樹
  • みたいムービー 15
  • みたログ 113

2.76 / 評価:29件

室井滋さんの裸

  • daw***** さん
  • 2009年10月12日 1時23分
  • 閲覧数 1822
  • 役立ち度 5
    • 総合評価
    • ★★★★★

村上春樹さんの作品を初めて読んだのは、高校に入った
ばかりの頃だから昭和57年のはずだ。薄くてすぐに
読めそうだったのと佐々木マキさんの描くお洒落な
カバー装画に惹かれて文庫本を買った。
それが「風の歌を聴け」だった。
当時は、まだ超売れっ子作家というわけでもなく、
文章自体は読みやすいものの正直、何を言わんとしている
のか、よくわからなくて、ただその乾いた無機質な感覚と
異界への誘いのような構成に気分が少し、その少しが
とても快適だったのだけれど高揚したのだった。
それから、いわゆる三部作を読んでいくことになるのだが
大学に入って、廻りの学生の多くが村上春樹さんの作品を
読んでいるのには驚いてしまった。純文学と呼ばれるものが
売れなくなって久しかったという商業面もさることながら、
村上さんの作品に潜む暗喩。それは、数字。人物。場所。
時間という極めて具体的な事象を重ね合わせながら別次元の
物語を編み出していくという難解な構成が万人受けすると
思わなかったからである。
時おりしも記号論が脚光を浴びる中、そのアンチテーゼとして
出現した浅田彰さんなんかのいわゆるニューアカデミズム、
ポストモダンなんかが幅を利かせてくるという錯綜した
思想状況が、村上さんのような暗喩を有効に使った物語を逆に
世間一般に顕在化させることになったのかもしれない。

かように物語を物語として深く読み込むことによって
了解できる村上さんの作品を映画化するというのは極めて
困難なわけで、唯一、具現化することが可能であると
するならば、それは徹底的にイメージ化することだと思う。
何かを語ることではなくイメージをつなぎ合わせることに
よって何かを語らせることだと思う。

「風の歌を聴け」

この作品の映画化を試みたのは「ヒポクラテスたち」で
医学生の青春群像をコミカルに、そして切実に描いた
大森一樹監督だ。
大森監督は、風の音をバックにイメージを繋げていく手法をとる。
この難しい作業を丹念に積み重ねた結果、完ぺきではないにせよ、
心地いい余韻とともにイメージによって物語を語らせることが
できたのではないかと評価している。少なくとも意味不明な
実験作よりは遥かに成功した実験作と言えるだろう。

「僕」は東京の大学の3年生。故郷の街に帰省すると、
友人の「鼠」がジェイズ・バーで待っていた。お互いやたらと
ビールを飲みながら空虚な時間を過ごす。
ある晩、「僕」はジェイズ・バーの洗面所で酔いつぶれていた
小指のない女の子を介抱し、彼女の部屋で一夜を明かす。
数日後、ラジオのDJから電話がかかってくる。何でも高校時代の
同じクラスの女の子からビーチ・ボーイズの
『カリフォルニア・ガールズ』をプレゼントされたということだ。
「僕」は、そのレコードを探しに行ったレコード屋で例の小指の
ない女の子と再会する。
しかし、彼女は行き先も告げずに姿を消してしまう。
「鼠」は大学をやめて小説を書こうとしている。再び現れた
小指のない女の子は、旅には出ていなくて、堕胎してきたのだと
語り、そのまま「僕」とは別れていく。
やがて、夏休みは終わって、「僕」は東京へ帰るのだけれど、
次の休みに帰省した時には小指のない女の子はどこにもいなくて、
二度と会うことはできなかった。
現在、「僕」は東京で暮らし、鼠はあの街に住んで小説を
書き続けている。時間はそうしてうつろい、それは誰にも
止められないものなのだ。

「僕」役には、まだ売れる前の小林薫さん。端役で出演している
室井滋さんともども大森監督の演出もあってのことだろう
抑制ある演技が物語と調和がとれていてなかなかいい。
ジェイズバーのマスター役がサックス奏者の坂田明さん。
例の独特の雰囲気とたどたどしい喋りが、逆に作品のテンポに
なっている。他にも「鼠」役にはヒカシューの巻上公一さん。
小指のない女の子役には真行寺君枝さん。
キャスティングもうまくいっている。昭和57年、ATGの作品。
夜、風呂上りに照明を暗くしてビールを飲みながら鑑賞すると、
風の歌が聴こえてくる、気がする。

詳細評価

物語
配役
演出
映像
音楽

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