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ドレミファ娘の血は騒ぐ

まるたん

2.0

80年代的空虚

ストーリーを書き記せば空しい。 そういう映画で、その虚ろな中にあてどもない映画の技量のみがちりばめられている。 そんな映画である。 洞口依子の女子高生が恋人だった男を探して歩き回る大学のキャンパス。いたるところにアジ演説が書かれた立て看板があるのだが、その中のひとつにこんなのがあったと思う。 記憶不鮮明なのだが、 「ボクたちは20年間壊し続けていたが、それでどうなったのか?これからボクらはつくりはじめなければならない、同士よ集まれ」 というような文章だったと思う。 この映画は、1985年作品。まさに自分のリアルタイムの世代。 破壊せよ、と否定し続けただだっぴろい空間に取り残された中で、80年代は徹底的にブランク・ジェネレーションとして振る舞い続けた。 意味のないものに価値を見出し、まじめなものを嘲笑し続け、そして得るものは何もなかった。 同じく立て看板にあった文句には、なぜか「構造と力」。本当に何もかも懐かしい。そして、その懐かしさは空虚である。 空虚で方向性を見失ったブランクジェネレーションは、性を玩具として取り扱う。しかも不器用に、そして初歩的に。 この映画もそういう映画のひとつで、何にぶつけてよいかわからないエネルギーをどうでもいいものにぶつけてみて、その滑稽に笑ってみせる。 ディレクターズ・カンパニーだからできた作品だと思います、よくも悪くも。 それにしても、この映画の大業に描かれるエロシーンとか見るにつけ、なんともはや現在の日本のエロカルチャーは成熟の極みにあるかということに感慨深くなります。 伊丹十三がやっていた恥の概念を研究する教授がもし生きているならば、どんな風に解説することでしょう(笑)

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